幻の魚は生きていた


「幻の魚は生きていた」の復習、定期テスト対策のプリントをダウンロード販売します。

 

1年生最後の説明的文章読解教材です。

これを機会に、しっかりと問題の解き方、答え方が身につくように作成しました。

 

授業と同じように進めることができるようにしたため、枚数が多く、その分高めとなっています。

 

興味のある方はこちらへどうぞ。


 この文章は、

クニマスはなぜ田沢湖で絶滅したのだろう。また、絶滅したと思われていたクニマスが、なぜ遠く離れた西湖で生きていたのだろうか。

という、第2段落で示された問題を説明するためのものです。

 この二つの問題提起のそれぞれについて、読解をしてみましょう。


クニマスはなぜ田沢湖で絶滅したのだろう

田沢湖での絶滅

 1940年、電力供給増加のために田沢湖を水がめとした水力発電所(生保内発電所)が建設されました。そして田沢湖の水を一定の量に保つため、近くを流れる玉川の水を利用しました。しかし玉川は、玉川毒水と呼ばれ、塩酸を含む強酸性の水が流れています。その玉川の水が大量に流入したため、田沢湖の湖面の pHが4.8前後と急速に酸性化し、それによって1948年にはクニマスの捕獲数はゼロになり絶滅が確認されました。

 田沢湖のクニマスが絶滅する以前の1935年、クニマスの人工孵化の実験をするため、本栖湖、西湖、他にクニマスの卵を送ったという記録があったため、田沢湖町観光協会では1995年11月に100万円、1997年4月から1998年12月まで500万円の懸賞金を懸けてクニマスを捜しました。しかし発見には至りませんでした。

 田沢湖での絶滅の根本的な原因は強酸性水の流入です。そしてヒメマスの稚魚は、サケ科魚類の中でも酸性の水に極めて弱い特性を持っていたのです。

 

問題提起に対する結論

 「クニマスはなぜ田沢湖で絶滅したのだろう。」

 この問題提起文に対する結論文は、「こうしてクニマスは~」で始まる7段落に書かれています。

 「こうしてクニマスは、人の手による環境の改変によって、他の多くの生物と共に田沢湖から姿を消した。」

 この文から、最も端的に結論をまとめるなら「人の手による環境の改変」となります。


なぜ遠く離れた西湖で生きていたのだろうか

西湖での発見

 西湖では、1930年代にクニマスの卵が移入されました。田沢湖のクニマスが絶滅した後、田沢湖町観光協会による「クニマス探しキャンペーン」で探索されましたが、なかなか再発見されませんでした。

 

 そして2010年3月6日 に「クニマスでは?」という魚が、この説明的文章の筆者である京都大学の中坊徹次に送られ、再発見されました。

 きっかけは、中坊徹次がタレント・イラストレーターで東京海洋大学客員准教授のさかなクンにクニマスのイラスト執筆を依頼したことでした。

 さかなクンは中坊に頼まれたイラストを描くの参考のために日本全国からクニマスと近い種類の「ヒメマス」を取り寄せました。このとき、西湖から届いた魚の中にクニマスに似た特徴をもつものがあったのです。さかなクンは中坊に「クニマスではないか」としてこの魚を見せ、中坊の研究グループは解剖や遺伝子解析を行ないました。その結果、西湖の個体はクニマスであることが判明したとし、12月14日夕方にマスコミを通して公式に発表されました。

  発見されたクニマスは、西湖の漁師には、この発見以前から「クロマス」と呼ばれて存在自体は知られていました。しかし『ヒメマスの黒い変種」程度にしか認識されていませんでした。このため、西湖周辺では普通に漁獲されていたほか、一般の釣り客も10尾に1尾程度の割合で比較的簡単に釣り上げており、2010年以前にも「西湖でクニマスを釣り上げた」と再発見説を唱える者がいたということです。

 産卵を前にして黒くなったヒメマスはまずいので、「クロマス」もまずいと考えられ、釣れてもリリースされることが多かったそうです。しかし「クロマス」を食べた人は、ヒメマスの伝承どおり、塩焼きにしてもフライにしてもとてもおいしかったそうです。

 

この黒いマスは、クニマスかヒメマスか

 「クロマス」がクニマスであると証明するために、筆者は次のように考察しています。

  1. 3月に捕れた「クロマス」は産卵期の状態を示していた。ヒメマスの産卵期は秋であるのに対し、クニマスの産卵期は冬から早春である。
  2. 産卵期の状態を示していた「クロマス」は水深30~40mの湖底で捕れた。ヒメマスの産卵場所は水深2~15mであるのに対し、クニマスは水深40~50mである。

 この二つから筆者は、「この黒いマス(クロマス)はクニマスかもしれない」と言いながらも「これだけでは証拠が不十分である」と言っています。なぜなら、「クロマスヒメマス」ということは証明できましたが、だからといって「クロマス=クニマス」の証明にはならないからです。

 「クロマス=クニマス」を証明するためには「サケの仲間でクニマスだけが持っている特徴」を「クロマス」が持っていなくてはいけないのです。そのためにはそもそも「クニマスとはどのような特徴を持った魚だったのか」がわからなくてはいけません。

 ところが「クニマスはどのような特徴を持った魚だったのか」を調べようとしても、実際のクニマスはもう絶滅してしまっているので、実物を調べようがありません。筆者は「。多くの論文や学術書を調べた結果、えらと消化器官に、クニマスだけに見られる特徴がある」ことをつきとめました。そして「手元の黒いマスを丁寧に観察したところ、全てクニマスの特徴と一致」しました。

 あとDNA鑑定で一致すれば、「クロマス=クニマス」と言い切れたのでしょうが、それはわかりませんでした。大正時代に採取された田沢湖産クニマスの標本が京都大学に保管されていたのですが、標本に使うホルマリンによりDNAが切断されていて、鑑定できなかったのです。それが「遺伝子の解析を行い、黒いマスはヒメマスとは別の魚であることがわかった」という、なんとも歯切れの悪い説明となっています。

問題提起に対する結論

 「なぜ遠く離れた西湖で生きていたのだろうか」

 この問題提起に対する結論は、14段落の最後の文「こうした偶然の一致によって、田沢湖で絶滅したクニマスは、遠く離れた湖底で脈々と命をつないでいたのだ。」にまとめられています。

 最も短くまとめるなら「偶然の一致」です。具体的には、西湖が「クニマスが産卵して生存できる条件を備えていた」からです。「クニマスが産卵して生存できる条件」とは「産卵場所の周囲の水温は、四度」であることです。

 筆者は、一匹の魚が生まれてから死ぬまでのことではなく、卵を産み次の世代が育っていくことを「生きる」と言っていることがわかりますね。


14段落以降

マスコミ発表以降の動き

 クニマスの生息確認の知らせを受けた秋田県の仙北市と田沢湖観光協会は、国や県と協力して田沢湖の水質改善を進めるなど、将来的にクニマスを田沢湖に戻すことを前提とした諸活動を計画しています。しかし、田沢湖の水は依然として強い酸性値が残っており、クニマスを田沢湖に戻すには程遠い状況なのです。そこで当面はクニマスの生態調査に力を注ぐと同時に、県内の他の場所でもクニマスを養殖出来ないか、山梨県とも協力しながら検討を続けていくということです。

 2012年2月には中坊らと同行したNHK取材班が産卵の様子の撮影に成功しました。その結果、クニマスは伝承通り冬季に産卵することが確認されました。生きたクニマスのカラー映像の撮影成功は初のことです。この撮影時にクニマスはカメラを全く警戒する様子がありませんでした。また深い場所で低い水温の砂利地帯という環境から、天敵のいない環境がクニマスが生きのびた要因であるという見方が強まりました。

 

筆者の主張

 筆者はまず

この西湖でクニマスがこれからも生き続けるためには、どうすればよいだろう。

と言っています。田沢湖で絶滅してしまったので、西湖では絶滅しないでほしい、と願っているのでしょう。

 では、筆者は田沢湖でのクニマスの復活を願っているのでしょうか。それに対して筆者は答えていません。

絶滅前のクニマスを知る人々、その話を聞かされて育った次の世代の人々が、クニマスの復帰を願っているのだ。

と、主語は自分ではない、と言っています。従って、この部分を文章全体の筆者の主張と考えるのは誤りだと思います。

 

①環境を変えてしまうのは一瞬。だが、それを元にもどすには、気の遠くなるような時間と労力が必要である。②それでも、クニマスが再び田沢湖で見られる日を願い、現実を踏まえ、少しずつ歩いていかなければならない。

 

 まず①の部分ですが、確かにその通りかもしれませんが、これを論証する部分が本論にはみあたりません。②は「クニマスの復帰を願っている」人々に対するコメントでしょう。①と②の部分は確かに筆者の主張かもしれませんが、説明的文章の結論部分と断定するのは難しいと思います。

 この文章は、あくまでも冒頭の二つの問題提起文に対する説明、ととらえるのがよいのかもしれませんね。


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