詩の世界


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詩の世界

詩の鑑賞

 谷川俊太郎は詩について「まず難しい、わからないと思ってしまう。でもわからないのに、何かを感じている自分がいる。言葉で言えない音楽のような何か、美しい日本語が生み出した何か、そんな何かを感じる自分を大切にしてほしい。」と言っています。

 しかし、「難しい、わからない」というのでは、テストで点はとれません。

 「言葉で言えない」何かを言葉で説明させようとするのが国語のテストです。しかも個人的な「感想」ではなく、「感じている」ことに客観性をもたせなくてはいけません。

 

 そのために、次の手順をふんでいきましょう。

手順 1

 詩はまず字を目でおいます。字にはひらがな、カタカナ、漢字などがあります。同じ言葉でもひらがなで書かれているのと漢字で書かれているのでは、ずいぶんと印象が違います。

 

 作者は、意図的に文字を使い分けている場合が多いようです。その言葉はなぜひらがななのか、漢字なのか、そこにどんな作者の意図があるかを探りながら読みましょう。

手順 2

 作者は、声に出して読んでもらうことを想定して詩をつくる場合があります。そこでまず、声に出して読んでみましょう。

 

 詩にはリズムと音(発音)があります。

 リズムとして有名なものが定型詩です。破調があった場合、そこには作者の意図が隠れているはずです。

 また同じ音を繰り返す場合もあります。これは押韻です。漢詩などは決まりがあるのですが、詩で同じ音が繰り返された場合、やはりそこには作者の意図があるはずです。

手順 3

 短歌や俳句と同じように、詩には、短い言葉の中にさまざまな情報がこめられています。

 例えば、「ひまわり」という言葉によって読者に暑い日差しや青空などを連想させます。俳句の季語などが、その典型です。

 ことば一つ一つにどのようなイメージがこめられているか、そして、ことば相互にはどのような関わりがあるかを分析していく必要があります。

手順 4

 谷川俊太郎は「音楽のように」と言いましたが、詩を「絵を描くように」イメージしていくことが大切です。

 そのために

  • いつ
  • どこで
  • だれが(作者が)
  • 何を見たか(何をしたか)

など、詩で描かれた状況を、具体的に説明してみましょう。

 作者の目に映ったものは何か、映像で記録するように再現するのです。

 例えば「水鳥が湖水をめぐった」とあれば、それはいつか、どんな湖か、水鳥の後には水紋が広がっているはず……というように、テキストの記述から考えられることをできるだけ絵を描くように具体的に想像していくのです。

 

 テキストの記述に反しない限り、個人的な想像が入ることもあると思います。それは解釈の自由にあたりますが、テストの解答に含めてはいけません。

手順 5

 最も大切な内容は「作者は何に感動したか」です。

 手順4までで明らかになってくると思いますが、更に絞り込むために、表現技法をチェックします。

 

 なぜなら表現技法とは、作者が目立たせたいところに用いるものであり、従って表現技法が用いられている部分は、必ず主題と関わりが強い部分と考えられるからです。

 では、これらの手順を通して、次回から実際に教科書に載っている詩を分析してみましょう。


一枚の絵 木坂 涼

一羽の水鳥が
ことのほか早く起きて
湖水を
めぐった。
画家きどりで
足を
絵筆にして。

 

水面に
朝の色を配りおわると
水鳥は
湖水の隅で
動きをとめた。
自筆の
サインのように。

構成

対と言える二連構成です。

音読するとリズムが感じられます。

また、各行の短い区切りや、四か所についた句点によって間がとられ、ゆったりした印象が与えられています。

いつ

第一連に「水鳥が/ことのほか早く起きて」とありますから、日の出の頃でしょうか。

一方第二連は「朝の色を配り終わると」とありますから、しっかり朝日が昇った頃です。

この詩には、日の出の頃から、朝日がしっかり昇りきるまでの、5~15分程度の時間が流れています。

どこ

「湖水」とありますから、湖です。

 どこかはわかりませんが、「池」ではなく「湖」ですから、ある程度の広さがあります。

だれが、何をした

「水鳥」が主語です。

 第一連では、水鳥は湖をひとまわりぐるっと泳いでいます。

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水鳥が泳ぐと、湖面に波紋が広がります。

この、水鳥がおよぐにつれて波紋が広がっていく様子を

  • 画家きどりで/足を/絵筆にして。

比喩によって表現しています。

湖をキャンバスに、水を掻く足を絵筆に、そして水鳥が泳ぐ様子を、絵の具で絵を描く画家にたとえているのです。

更にこの部分には倒置法が用いられています。

水鳥の様子が「画家きどり」と、すこしすましたような、ゆったりとユーモラスな感じで描写されています。

 

第二連で、水鳥は湖の隅に停止しています。

  • 水面に/朝の色を配りおわると

という表現は、水鳥は湖をひとまわりしおわったことを表現するのと同時に、

しっかり夜が明けて朝がきたことを比喩によって表現しています。

またこれは水鳥を人にみたてた擬人法にもなっています。

水鳥が泳ぎをやめると、水紋も消えていきます。水鳥が止まったことによって水面に映った景色も固定されます。

画家は、絵を描き終えると、その絵が自分の作品であることを示すために絵の隅にサインをします。

同じように、水面に映った景色を含めた湖の風景が、自分の描いた作品であるかのように、誇らしげに

  • 自筆の/サインのように

「湖の隅で/動きをとめた」のです。

「~のように」とありますからこれは直喩です。そして倒置が用いられています。

作者は何に感動したのか

美しい早朝の景色。及び、それを感じさせてくれた水鳥の動き。

鑑賞

水鳥の動きを中心にした、日の出の頃~朝という時間的な広がりと、池よりも広い湖全体の空間的な広がりをもたせ、「一枚の絵」というタイトルにあるように、絵画的な美しい情景が描かれています。 

また、広々とした自然の情景と、その中の一羽の水鳥を対比し、自然の美しさが自分の手柄であるかのように振る舞う水鳥の姿が、愛情をもって描かれています。

Q&A

Q

これは、何を何にたとえて何を表現しているんですか?

A

水鳥(の足)を、絵筆に例えています。また、水鳥を画家(のサイン)に例えています。

水鳥が湖水を泳ぐ様子を、画家が一幅の絵を描くのに例えているのです。

水鳥が泳ぐにつれ、朝の光があたりに満ちて、明るくなって、いろいろな色彩がはっきり見える様子を表現しています。

そしてしっかり朝になって、ものがはっきり見えるようになったことは、絵が完成したことをあらわし、絵が完成したので、画家は自分のサインを絵に描き込んだ(水鳥が湖の端で止まった)のです。

Q

季節はいつですか。

A

季節はわかりません。

「朝早く」とあるので、日の出の遅い冬でないことだけは確かです。水鳥が渡り鳥ならば、春か秋ではないでしょうか。


朝 吉田 加南子

空の遠さが屋根にふれている
──まじわることなく

とても短い詩ですね。

  • 空の遠さが 屋根に まじわることなく ふれている

という内容が、倒置省略によって表現されています。

「ふれている」というのは擬人法です。

作者は「朝、家の屋根と、遠く広がる空」を見ています。

 題名が「朝」であり、主語が「空の遠さ」であることから、作者が心を動かされたのは朝の「空の遠さ」です。

 「空の遠さ」とは遠くまで広がる空のことです。

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  • ふれている ――まじわることなく

とあります。

「ふれている」という言葉は、「触っている」ということですから、空が屋根のすぐ上にあるかのように見えることを表現しています。

しかし、実際は、空は屋根からはるか遠いところにあります。 

この状態を「まじわることなく」という言葉で表現しているのでしょう。

屋根と空とは接しているように見えるが、実際には遠い距離があるのです。この距離感を表現したかったのだと思います。

作者は何に感動したか

朝のすがすがしい青空が、屋根のはるか上、はるか遠くまで、どこまでも続いている情景に感動しているのでしょう。

鑑賞

「遠い空」と「屋根」の対比、「ふれている」「――まじわることなく」の言葉と言葉のつながりによって空の青さ、広さを印象づけ、短い言葉で目の前の屋根から、はるか彼方の空へと続く雄大な情景をえがいています。

Q&A

Q

――まじわることなく、の線(ダッシュ)の意味は何ですか。

A

省略法です。これによって間を持たせ、作者の感動を込めています。

また、間を持たせることによって、倒置法が使われていることを意識させる働きもあります。

近くの屋根と遠くの空が、接して見えるけれども、とても広い空間があることを読者にも感じさせるためのダッシュなのではないでしょうか。


未確認飛行物体 入沢 康夫

薬缶だって、

空を飛ばないとはかぎらない。

 

水のいっぱい入った薬缶が

夜ごと、こっそり台所をぬけ出し、

町の上を、

畑の上を、また、つぎの町の上を

心もち身をかしげて、

一生けんめいに飛んで行く。

 

天の河の下、渡りの雁の列の下、

人工衛星の弧の下を、

息せき切って、飛んで、飛んで、

(でももちろん、そんなに速かないんだ)

そのあげく、

砂漠のまん中に一輪咲いた淋しい花、

大好きなその白い花に、

水をみんなやって戻って来る。

三連構成の詩です。

第一連

  • 薬缶だって、/空を飛ばないとはかぎらない。

「空を飛ばないとはかぎらない」とは、「薬缶が空を飛ぶことはありえないと思っているかも知れないが、そんなことはない。空を飛ぶこともある」ということです。

「『薬缶』とわかっているなら、『未確認飛行物体』じゃないじゃん」というツッコミは置いておいて、「薬缶が空を飛ぶ」ことを書いた詩ですね。

第二連

  • 水のいっぱい入った薬缶が/夜ごと、こっそり台所をぬけ出し、
  • 町の上を、/畑の上を、また、つぎの町の上を
  • 心もち身をかしげて、/一生けんめいに飛んで行く。

「夜ごと」とありますから、これは毎晩のことです。

薬缶は台所にあります。薬缶が台所から飛び立つ姿を見れば、大騒ぎになります。

だから「こっそり」台所を抜け出すのです。

「一生けんめい飛んで行く」ためには、当然前傾姿勢となります。

しかし前傾姿勢=体を傾けると「水がいっぱい入った薬缶」ですから、水がこぼれてしまいます。

そのため「心もち(=ほんの少し)身をかしげて(=傾けて)」飛んで行くのですね。

速度を上げたい、だけど体を傾けると水がこぼれてしまう……

水をこぼさないようにしながら、なるべく速く飛ぼうとする薬缶のユーモラスな姿が浮かびます。

  • 町の上を、/畑の上を、また、つぎの町の上を

とあります。地方自治体の境界を次々と越えていくのですね。

結構長い距離を飛んでいることがわかります。

第三連

  • 天の河の下、渡りの雁の列の下、/人工衛星の弧の下を、
  • 息せき切って、飛んで、飛んで、
  • (でももちろん、そんなに速かないんだ)
  • そのあげく、/砂漠のまん中に一輪咲いた淋しい花、/大好きなその白い花に、/水をみんなやって戻って来る。

 「天の川」と「渡りの雁の列」は自然、「人工衛星」は人工のものです。

これらの「下」を薬缶は飛んでいるのですから、

薬缶は雁が飛ぶよりも低い高度を「息せき切って」飛んでいます。

けっこう、低空飛行です。

  • 飛んで、飛んで、

と表現技法の反復を用いていますから、

ただひたすら大急ぎで飛び続けている様子が目に浮かびますね。

 

この「息せき切って、飛んで、飛んで」というのは、第二連の「いっしょうけんめい飛んで行く」の具体的な姿です。

なぜ薬缶はそんなに急いでいるのでしょう。

 

それは朝までに台所に戻っていなくてはいけないからです。

 

でも薬缶の飛行速度は「そんなに速かない」のです。

理由の第一は、薬缶は空を飛ぶ形状をしていないからです。いかに空想上のことであっても、薬缶には流体力学上、飛行速度には物理的限界があるのでしょう。

第二に水が「めいっぱい」入っていて、重いからです。

第三に、雁が飛ぶより低いとはいえ、高空の移動ですから、高速であっても地上から見れば遅く見えているのかも知れません。

 わざわざ括弧( )をつけて、「そんなに速かないんだ」と読者に語りかけるように書くことで、ユーモラスで親しみやすい感じを抱かせています。

 そして「そのあげく」とあります。

「あげく」というのは、「いろいろやった末に結局」という意味です。

さんざん急いで水を運んだ末、やったことといえば、そんなにたいしたことじゃないんだよ、という感じがこめられています。

詩の主題

しかし、薬缶がやったことこそが、この詩の主題でしょう。

薬缶は、砂漠のまん中に咲いた一輪の白い花が大好きです。その花に、運んだ水を「みんな」やるために、大急ぎで、遠い距離を飛んできたことがわかります。

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この、対象に向けた優しさが、この詩の主題でしょう。

このやさしさは、「水をみんなやって」の「みんな」に込めれているような気がします。

全身全霊の、精一杯の愛情を捧げて戻ってくる薬缶の姿を、ユーモラスに表現しています。 

「未確認飛行物体」という興味をひく題名で、薬缶が空を飛ぶという想像の世界での不思議な情景をえがく一方で、砂漠に淋しく咲く一輪の白い花に向けられた作者のやさしさが感じられる詩です。


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