高瀬舟


喜助の罪

同意殺人罪により有罪

 現代の法律で言えば、喜助は

 

同意殺人罪により有罪

情状酌量により懲役2年、執行猶予1年

 

くらいが適当だと思われます。

 自殺関与・同意殺人罪とは、刑法第202条に規定されている罪の総称です。個別には、人をそそのかして自殺させる自殺教唆罪(簡単に言うと「死ね」など言って人を自殺させようとすること)、人を幇助して自殺させる自殺幇助罪(自殺のための道具や場所、知識などを提供すること)、人の嘱託を受けてその人を殺害する嘱託殺人罪、人の承諾を得てその人を殺害する承諾殺人罪(同意殺人罪)を言います。これらは殺人罪の仲間ですが殺人罪より少し罪が軽く、法定刑は全て、6ヶ月以上7年以下の懲役又は禁錮と殺人罪よりも軽くなっています。

 現在の刑法は、弟Aさんが死亡した、という事実から遡って、その直接原因になったのは何かを考えます。つまり、病気で苦しんでいる人を楽にさせようと首を締めたことにより窒息死したとすれば、その病気が不治の病であろうと、放っておいても数時間後に死ぬことがわかっていようと、死因が窒息死である限り、死の結果は首を締めた人がすべてを負わなくてはなりません。

 Aさんの場合は状況から、おそらく死因は喜助が剃刀で頸動脈を傷つけたことによる失血でしょう。(Aさんの死後、大量の出血が見られます。)喜助はAさんの同意・嘱託がありますから、刑法202条の同意殺人となります。喜助が剃刀を抜いた行為は、「うまく(剃刀を)抜いてくれたらおれは死ねるだろう」というAさんの考えに従ったわけですから、殺意があったことに間違いはありません。このため刑法210条の過失致死には該当しません。

安楽死にはあたらない

 「苦痛を回避するとは言っても、死を早めることは許されない」と考えるのが現在の法律です。しかし「苦痛を回避するために、結果として死をもたらしたとしても、死ぬまでの時間が少し縮まるだけだ。それなら安楽死を認める場合もあるべきだ」という意見があります。これが安楽死です。

 では具体的に、どのような条件が揃えば、安楽死が認められるのでしょうか。

 名古屋高裁や横浜地裁の判例は、以下のようになっています。

  1. 不治の病に冒され、死期が目前にせまっていること。
  2. 病者の苦痛は甚だしく、見るに忍びない程度であること。
  3. もっぱら死苦の緩和が目的であること。
  4. 病者の真摯な委嘱または承諾のあること。
  5. 原則として医師の手によること。
  6. その方法が倫理的に妥当なものとして容認しうること。

 1について…喜助の弟は呼吸はできていました。喉を切って出血多量で死ぬまでにはまだまだ時間がかかります。喜助は医者を呼びに走ることもできたはずです。(事実、そうしようとしましたがやめてしまいました。)ですから「死期が目前にせまっている」とは思えません。

 2について…喜助の弟は確かに苦痛を訴えていましたが、ずいぶんと冷静に喜助に話をしていました。とても「見るに忍びない」程度だったとは思えません。

 5について…医師の手による死ではありません。

 

 従って、喜助の行った行為は、現在の法律では安楽死とは認められません。

弟の同意は認められない

 例えば、相手が縄で縛られることを自主的に同意していれば、暴行罪や逮捕監禁罪には問われません。(そういう趣味の人って、いるみたいですね。)刑法では、被害者の同意があれば犯罪は成立しない、とされているからです。自己決定権を重視するからです。

 喜助が弟を殺したのは弟の依頼があったためです。ならば喜助は「弟の同意」があったので罪には問われないのでしょうか。

 現在、生命については国家が後見人として保護しなければならないもので、自己決定権は認められていません。ですから自殺も認められません。「死ぬ自由」はないのです。なぜなら刑法202条は「死ぬ医師は一時的な気の迷いに過ぎないことが多いから、そのようなあやふやなことに対する同意は効果がない」という考え方によりできています。

 この考えに対し「本当に死を望んでいる場合には、いいのではないか」という意見もごく少数あります。しかし、あくまでごく少数ですから、喜助が最高裁まで争ったとしても、無罪を勝ち取ることは無理でしょう。(残念ながら弟が本当に死を望んでいたかは、喜助の自供しかありません。)

精神鑑定に持ち込めば無罪

 授業で「『高瀬舟』の裁判」をやることになって、間違えて「喜助」の弁護側にまわってしまったあなた。喜助が無罪となる方法はないのでしょうか。

 まず主張することができるのは、「証拠不十分で、検察側はそもそも提訴する資格はない」と言い切ることです。何しろ被告本人の自供と、目撃者の老婆の証言、凶器の剃刀しか検察側の証拠はないわけですから。司法解剖による弟の死因特定すらできていません。しかしこれを言い出したら、国語の授業ではなくなってしまいます。(まあ、文学作品相手に裁判ごっこをやるのも、授業としてはどうかと思いますが…。)

 弁護側は、安楽死や弟の依頼をポイントに論戦を進めることは、既に司法の場で結論が出ていることですから、敗訴確定です。唯一、無罪を勝ち取る条件は、刑法39条「心神喪失者の行為は、罰しない。心神耗弱者の行為は、その刑を軽減する。」を利用することです。

 そもそも喜助は、弟を殺してから1ヶ月も経たないうちに200文をもらって随分とうれしそうです。庄兵衛の言うとおり「人の情けとしていい心持ちはせぬはず」です。しかし喜助はとうとうと「知足」を語ります。また、弟殺しの場面では、冷静に弟の状況を観察しつつ殺しています。そしてそれに対する謝罪の言葉は一言もありません。庄兵衛ではありませんが、これは常人の感覚とは思えません。ですからここは精神鑑定を主張するべきでしょう。

 ただし、精神鑑定を行っても、実際の裁判では責任能力の有無が問われ、責任能力あり、という判断がほとんどです。まぁ、喜助の場合、某新興宗教の教祖のような場合に準ずるとみてもよいかもしれません。

 それよりも、「喜助は異常だ」と主張することの方が、国語の授業として実りあるものになると思いますよ。 

 以上の分析とは別に、喜助が明らかに殺意をもって弟を殺した、という考えもあります。テキストに書かれた内容は喜助の供述ですが「これらはウソかもしれない」と、推理小説よろしく読み解く、ということもできます。興味のある方はこちらをご覧ください。


『高瀬舟』の背景

 「高瀬舟」の主題は「知足」と「安楽死」だと言われています。その通りです。なにしろ同じ時期に鴎外が発表した『高瀬舟縁起』にそう書かれていますから。しかも『翁草』という本の中のエピソードから取材した、とネタばらしまでしています。

 しかし、当時から、この作者本人による説明を疑問視する声がありました。本当の主題を隠すためのフェイクなのではないか…と。

 家族構成・家族環境等から、庄兵衛と鴎外とは酷似しています。庄兵衛の家庭の独白は、鴎外の実生活と重なる部分があるのです。そしてもっと視野を広げると、当時の日本や日本を取り巻く国際関係とも似ています。

 まず、国際関係から考えてみましょう。「そろばんの桁が違う」のは日本とイギリスのことで日英同盟のことを指しており(喜助が日本で、庄兵衛がイギリスですね)、「知足」というのは日露戦争以降の賠償問題の比喩だ(当時日本は「ロシアに勝った」と思い込んで、多額の賠償をロシアにふっかけようとしました)、というのです。鴎外は軍のお偉いさんという立場上この真意を隠すために『縁起』を書いたのではないか、というわけです。

 また鴎外は、百日咳で苦しむ次男不律を安楽死させ、長女の茉莉も同じ様に薬殺しようとしたところを止められた、ということがあったそうです。そしてこれがもとで『高瀬舟』が書かれた、と鴎外の奥さんが言っているそうです。(詳しくはここをご覧下さい。)

 まあ、二年で学習した「走れメロス」同様、作品の背景はあまり掘り下げない方が、作品を楽しむためにはいいかも知れませんね。


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