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女性はひらがなが読めれば十分。漢字は男のもの。謙虚でおしとやかが一番。
そんな時代に、和歌や漢詩の豊富な知識を持ち
と、現代でも通用するような、言いたいことをズバズバ言うスーパー才女がいた。
清少納言だ。彼女は一条天皇の后(きさき)定子(ていし)に仕えた。
定子もまた頭が良く美人でおしゃれな姫。名門藤原家の長男、藤原道隆の娘だ。定子と清少納言の二人はとても気が合う主従だった。
しかし995年、定子の父道隆が死去、兄の伊周(これちか)も失脚。宮中での定子の力は失われていった。そんな中、清少納言は華やかだったありし日を思い出し『枕草子』を書く。そして1001年定子は亡くなり、清少納言は宮中を去る。
一条天皇にはもう一人の妃がいた。藤原家五男の道長の娘、彰子(しょうし)だ。彰子は定子より10歳年下で幼く、控えめで地味な性格だった。
父親の道長は一条天皇をなんとか彰子に振り向かせようと、超人気連載小説『源氏物語』の作者紫式部をはじめ、有名歌人の和泉式部など、そうそうたるメンバーを彰子の家庭教師としてスカウトする。
『源氏物語』は恋愛小説であると同時に、和歌や仏典の内容も組み込まれた教養小説で、一条天皇や彰子、道長も大ファンだった。
紫式部もまた天才の誉れ高い才女だ。漢文の勉強をしている兄の隣で遊んでいた幼少期、いつの間にか漢詩が読めるようになっていたという。
しかし天才紫式部は知っていた。「女の私は、頭が良くて何でもできちゃいけないんだ……。」
自分の才能を惜しみなく発揮する清少納言とは真逆で、一条天皇から「教養ある人だ」とほめられると落ち込むような性格だった。
口さがない宮中のこと。
「定子様のお父様は優秀。兄もイケメンで、ご本人も美人で。おそばにいる清少納言も知識があって、スケベな男子をやっつけるところなんか、スッとしたわぁ。人気者だったのにね~。」
「それに比べ、彰子様は傲慢で大雑把な道長さんの娘でしょ。地味だし、お子ちゃまだし…。紫式部?有名作家っていっても、彰子様のところのサロンの中じゃ、コミュ障で陰キャでしょ。定子様の勝ちよね~。」
と、何かにつけて比較されたと思われる。
また紫式部は身分が低かったためパワハラもあったかもしれない。
頭が良すぎて悩み、出世したらいじめられ…そんな恨みつらみを『紫式部日記』に書き連ねている。
清少納言と紫式部はライバルのように言われるが、ひとまわりほども歳が離れ、性格も真逆な二人は、宮中にいた時期が異なるため直接会ったことはない。
ライバルだったのは、彼女たちが使えた定子と彰子の親たちなのだ。
天才二人に共通していたものは主への愛だ。清少納言は「定子様こそが世界一」と考え、紫式部も「は?私の教え子の彰子様が定子に劣っているはずがないじゃない!」と思っていたに違いない。
そして「主のために何かがしたい」これが天才二人に共通した執筆動機だったのだろう。
清少納言は60歳くらいまで生き、紫式部は38歳で亡くなったという。
愛する主のため、自分を追い越そうと懸命に生きた後輩、紫式部の死を、晩年の清少納言なら『枕草子』にどう書いていただろうか。