設定に無理がある?


 これは、大きなお友だち向けの、個人的な感想です。

 

同族嫌悪はなかったの?

 「同族嫌悪」という感情があります。

 同じ種類や系統のものを嫌悪することで、自分と同じ趣味・性質を持つ人に対して抱く嫌悪感です。普通なら自分と同じキャラの人を嫌う必要などまったくありませんが、逆に自分に似ている人にイライラしたり、嫌悪感を感じたり、本能的に好きになれない負の感情を抱いてしまうことを言います。

 同属嫌悪を引き起こす心理として知られるのが、「投影」です。

 「投影」とは、自分が否定したい自分自身の嫌な面が、相手の姿や行動を通して見えてしまうことです。 「同属」の相手には、相手の言葉や態度を通して、自分自身の嫌な一面が透けて見えてしまうことが多く、それが同属嫌悪を引き起こしているのだ、ということです。

 たとえば、同じ趣味を持つ仲間と、最初のうちは共通の話題で盛り上がっていたのに、ある時期を境に、口もききたくないほど、相手のことを嫌いになってしまうことがあります。その理由の一つに、自分と似た相手とかかわることで、自分の恥ずかしい一面まで見せられ、つらくなってしまうことなどがあります。こうした心理の背景にあるのが「投影」です。

  他にも「共感」という感情もあります。

 自分に似た人は、生活や境遇、考え方が似ているため、共感できる部分が多いものです。

 たとえば、家族や同じ地域で生活してきた人は、何も言わなくてもわかり合える、共感性の高い関係といえます。

 でも、だからこそ、他人には知られたくない恥ずかしい姿も家族、地域の人と関係のなかでは共有し、共感することができます。こうした「共感」にともなう感情が、同属嫌悪につながっていると考えることもできます。

 主人公シンタと、友達のシュンタとの関係を見る限り、好きな食べ物や飲み物など、同属嫌悪を引き起こしそうな要因がてんこ盛りです。

 つゆだくの牛丼や強炭酸のコーラが好きなことはまだいいとして、蛇口から直接水を飲むことや靴下をはかないことは衛生面から考えて適切ではないとは考えないのでしょうか。むしろ「恥ずかしい」ことだ考え、同属嫌悪を起こしてしまいそうです。

なぜ同属嫌悪を起こさなかったのか

 そうならなかった理由はいくつか考えられますが、その一つに、日常的にそのような性癖を周囲から否定され続け、それに反発していたためなのではないかと思われます。同じ趣味等を持つ仲間であったため、同属嫌悪以上に同属意識が高くなったというわけです。

 そこで登場するのが「姉ちゃん」です。

 水の飲み方や靴下については、日常的に「やめなさい」と姉から注意されていたことが予想されます。つゆだくの牛丼や強炭酸コーラーが好きなことも、姉の軽蔑の対象(愛情の裏返し?)となっていたかも知れません。

 シュンタにもシンタにも、そういう「姉ちゃん」がいたのではないでしょうか。そして口うるさい姉に対抗する唯一の理解者として、互いに好感を持ったのではないかと思います。

 二人の関係を、よくBLと考える人がいますが、残念ながらそのような記述はテキストにはありません。従って読者が想像するのは自由ですが、個人の感想に留めておくべき解釈でしょう。(まあ、シスコン?だって、似たようなものですけどね……。)

 

 だいたい、二人がまったく同じならば、シュンタが「好き」と思ったものに対してシンタも「好き」である可能性は高いと思います。しかし、

  • どうして好きなのかを全然説明できなかった

のならば、シンタも同じように説明できないだろうと考えるのが普通でしょう。

  • シンタなら、その理由を教えてくれるに違いない

と考えるのは不自然です。

 作品世界は全て作者が創り出した架空の世界なのです。


国語の授業の小説

  • ある日、国語の授業で小説を読んだ。

 この小説は、「短いお話で、全然明るくなくて、それどころか暗くて、悲しい話だった」とあります。

 短編で暗く悲しい小説はたくさんあります。道徳などならば、そういう話を教材として取り扱うこともあるでしょう。しかし、国語の授業で、しかも一年生の一学期に授業で取り扱う小説は、どの教科書会社の教科書でも、暗く悲しい話はありません。なぜなら、入学当初にそのような教材を取り扱うのは、夢と希望をもった新入生にはふさわしくないからです。この「シンシュン」も、最後には希望がもてる方向でオチがついています。

 ならば、シュンタのクラスの教科担任が、教科書以外の教材を取り扱ったとしか考えられません。一学期に一つくらいしか扱わない文学的文章の教材のテキストを、わざわざ暗く悲しい話にしてしまうのは、理解に苦しみます。

光村図書 1年の文学的文章の教材

 そう言えば、光村図書1年の、文学的文章の教材の主人公は、普通でない人物が多いようです。

 この「シンシュン」の主人公シュンタは、一学期、たくさんの友達をつくろうとする時期に、シュンタ一人にこだわり、同属嫌悪も起こさず、二人で閉ざされた世界を作ろうとしています。似た者同士でもコミュニケーションの大切さに気づいたのなら、もっといろいろな相手とコミュニケーションをとるすばらしさに気づけばいいようなものですが、「僕たちはそれから、前にもましておしゃべりになった。」とありますから、しばらくは二人の世界に閉じこもってしまいそうです。

 学級担任は、学級内の人間関係を広げる工夫をした方がいいと思います。

 「星の花が降るころに」の主人公は、自意識過剰なコミュ障の陰キャです。だいたい二学期になってもまだ小学校時代の友達にこだわり、小学校時代の友情を復活させようと画策する姿には、「中学になって新しい友達ができなかったのかよ」とツッコミを入れたくなってしまいます。

 「大人になれなかった弟たちに……」の主人公は、戦時中栄養失調で亡くなった弟に、その原因を作ったのは自分ではないか、というトラウマを持っています。

 トラウマという点では、「少年の日の思い出」もそうです。主人公のトラウマとなる思い出話ですが、「中学校時代に心に残る教材」のベストテン入りするほど、中学生にもトラウマを植え付ける話です。

 「大人に~」や「少年の日の~」はしかたないかもしれませんが、最初の二教材は、どうせ書き下ろしなのですから、もう少し、等身大の普通の中学生が登場する教材にできなかったのでしょうか……。



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