平家物語

祗園精舎の鐘の声、
諸行無常の響きあり。
娑羅双樹の花の色、
盛者必衰の理をあらはす。
おごれる人も久しからず、
唯春の夜の夢のごとし。
たけき者も遂にはほろびぬ、
偏に風の前の塵に同じ。

 

 ここで言う「祇園精舎の鐘の声」とは、祇園精舎の西北の角にあったという無常院の鐘のことを指します。
お釈迦様が、病者に安らかな臨終を迎えさせるための施設です。ここに居る人が亡くなるとき、自動的に鐘が鳴ったといいます。

  この「諸行無常」の考え方は無常観と言います。平安時代の花鳥風月に代表される自然の美を追究する時代は終わり、血で血を洗う戦乱の世になりました。道ばたに死骸がごろごろ転がっていて、西行法師が小野小町のドクロに会った頃の話です。
 そういう時代の中で、人々は死後の世界に救いを求める末法思想が流行りました。宇治平等院が有名ですね。

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 そういう時代の中で育ってきたのが無常観です。

 「諸行無常、盛者必衰」という仏教的無常観は『平家物語』を端緒として、西行の歌や吉田兼好の『徒然草』、「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」で始まる鴨長明の『方丈記』など、その後の日本の中世文学に大きな影響を与えました。
 一年生で学習した「いろは歌」もこの流れの中にあります。

 「永遠なるもの」を追求し、そこに美を求めたヨーロッパ人とはまったく異なる美意識ですね。

 無常観を少しこじらせると世捨て人となり「隠者文学」となります。
 更にこれを「幽玄」の世界として表現しようとしたのが「能」でしょう。
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これが禅の教えと融合し千利休の「茶道」に結実します。
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茶の湯の道で求めた「侘び」「寂び」は、連歌の宗祇を経て松尾芭蕉につながります。
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 これらの人々は三年生の「おくのほそ道」冒頭に出てきます。「おくのほそ道」冒頭では、文学史のおさらいをするわけですね。