少年の日の思い出


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罪と罰、償い

「僕」の罪

犯行の経緯

「二年後」とありますから、物語の「僕」は中学一年生くらいの年齢となります。
常軌を逸するレベルで熱中していた小学校時代と同じ生活をまだ続けていたのですから、ほとんど病的な状態です。
「僕」は、「周囲からの情報」を受けることで「心理」が変化し、その変化の結果として「行動」を興しています。
この「周囲からの情報」と「心理」と「行動」をきちんと整理しながら読むとよいでしょう。

大まかな流れ

  • 僕は「熱烈にほしがっていた」クジャクヤママユの話を聞いて、一目見るために隣家に不法侵入、特に見たいと渇望した「あの有名な斑点」に魅せられて窃盗行為をした。帰り道、犯行を隠すためにとっさにとった行動が結局獲物を台無しにしてしまった。
この流れの中で、「心理」を省くことにより、より読者を物語の内容に迫らせる(感情移入させる)のが文学的文章の特徴です。そして「心理」は、テスト等で最も問われる内容でもあります。
ですから「心理」の変化は、それをもたらした要因である「状況」やその結果である「行動」をから読み解いていきましょう。得に「心理」の変化の周辺には、表現技法が用いられていますから、注意しましょう。

展翅板と展翅のしかたがよくわからないと、盗みをする前後の状況がよくつかめませんから、解説しておきます。
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上の写真では、蝶の羽は半透明な紙で覆われていますが、物語では普通の紙を使っています。

どうしても見たかった斑点はまったく見えない状態だったのです。

この時、「盗みをしたという気持ちより、自分がつぶしてしまった、美しい、珍しいちょうを見ているほうが、僕の心を苦しめた」とあります。「僕」がつらく思ったのは蝶の美を壊してしまったことであり、犯罪行為にはまったく反省していないことがわかります。

「僕」の犯罪

 「僕」は不法侵入及び窃盗を行っています。初犯ですから情状酌量の余地はありますが、最大刑は不法侵入(住居侵入)が懲役3年または10万円以下の罰金、窃盗罪が懲役10年以下または50万円以下の罰金となります。「僕」は立派な犯罪者です。

 ちなみに標本を破壊していますが、器物損壊は所有する意思がない場合ですから今回は適応外です。また盗んだことがすぐにばれてしまっていますから、隠そうとしたこと(隠蔽)は問われません。しかし標本を壊したことについては故意ではありませんが、何らかの刑が加わると思います。

 もし「僕」が大人だったら、エーミール家から被害届を出された段階でアウトです。警察による逮捕に始まり、裁判では情状酌量の余地はあっても有罪が確定します。どのくらいの罰が下るかは裁判官次第ですね。

 しかし「僕」はまだ少年ですので、少年法が適応され、少年鑑別所で数週間過ごした後「少年裁判」を経て以下の処分が待っています。

  1. 保護処分(保護観察、児童自立支援施設等送致、少年院送致)
  2. 検察官送致(その後家庭裁判所に送られ 大人と同じ刑事裁判となる)
  3. 不処分(教育的処置)
  4. 都道府県知事または児童相談所送致

 まあ、本人もすごく反省しているようですし、ここは「不処分」て手をうってもいいかもしれません。ただし、今まで学校はサボるわ、保護者や先生の言うことは聞かないわで、素行不良の虞犯少年と目された場合、案外、保護観察処分か児童相談所送致くらいくらうかも知れませんね。

 いずれにせよ、これは「僕」が決めることではありません。優秀な弁護士を雇いましょう。

 

 しかも「僕」の場合は、明らかに故意の犯罪ですから、民事訴訟における損害賠償の対象となります。

 この場合、蝶の標本価格(オークション価格)である2000円以上が最低金額となります。保存状態は最上ですので7000円程度になるかもしれません。

 しかし怖いのは、この標本を作るために、エーミールがしたこと(幼虫を捕まえ、幼虫に餌を与え、さなぎにし、さなぎから孵ったところを注意深く標本にした労力とそのための知識)やエーミール自身の気持ちをいくらと考えるのが妥当かによって賠償額が決まります。

 いずれにせよ、このお金は当然「僕」の保護者であるご両親が支払うことになります。これについても、ただひたすら優秀な弁護士を雇って、それこそエーミールに許しを請わないと金額を軽減することは難しいでしょう。だいたい罰金や賠償金以上に弁護士費用がかかることは覚悟してくださいね。

 

 言うまでもないことですが「蝶の目に見つめられて、心神喪失状態だった」と主張しても、そんな寝言は裁判では絶対に通用しません。

 

 ちなみに、万引き等も窃盗罪ですから、これが適応されます。最近はお店が積極的に警察に通報しているようなので、見つかったら一発アウトです。

 みなさんは絶対にしないでくださいね。

「僕」の告白

「僕」は母親とエーミールに自分の犯行を告白します。

では、どのように告白したのでしょう。

その内容とは、母親の

  • 「自分でそう言わなくてはいけません」

の「そう言」った内容です。

母親に告白した内容は、次のようなものだったことは容易に想像できます。

  1. クジャクヤママユを見たくてエーミールの所へ行った。
  2. エーミールはいなかったが部屋に入った。
  3. 蝶を探したら展翅板にあった。
  4. 羽を見たらどうしても欲しくなってつい盗んでしまった。
  5. 下から誰か来る音がしたので、あわててポケットに入れた。
  6. これはいけないと思って返しに行ったが、クジャクヤママユは壊れていた。

これを聞いて母親は、次の内容を指示します。

  1. 自分でそう言わなくてはいけません=上の1~6の内容をエーミールに直接言いなさい。
  2. どれかをうめ合わせにより抜いてもらうように申し出るのです=自分の持ち物を損害賠償として自分のコレクションを差し出しなさい。
  3. 許してもらうように頼まなければなりません=1及び2によって、許しを請いなさい。

これに対し「僕」は、何を「わかってくれないし、おそらく全然信じようともしないだろう」と考えました。

おそらく「クジャクヤママユの標本を盗むためか壊すことが目的だった」とエーミールに思われると考えたのでしょう。

特に「羽を見たらどうしても欲しくなって盗んでしまった」ことを信じてもらえないと思ったに違いありません。純粋にクジャクヤママユの羽の美しさ故に自分のものにしたくなった……見るまでは欲しいとは思わなかった、という気持ちなど、エーミールには理解できないと考えたのです。

 

美に打たれて初めてそれを自分のものにしたいと願うアーティスト的な魂と、結果としての価値こそ大切なものであるというリアリスト的な魂とは、わかり合うことができないと「僕」にはわかっていたのです。

 

しかし、母親に背中を押され、ついにエーミールの所に出かけます。

その時エーミールは、標本を壊したのは「悪いやつがやったのか、あるいは猫がやったのかわからない」と言っています。その時「僕」はエーミールが必死に修復しようとした状況を目の当たりにします。

「僕」はそこで母親に話したのと同じように告白しますが、「君はそんなやつなんだな」と言われます。

「そんなやつ」とは、平気で盗みをするやつという意味でしょう。

盗みは犯罪です。自分の欲求を満たすためなら簡単に犯罪を犯す人間、という意味でしょう。「僕」のしたことは、まさにその通りです。

ひょっとしたら、嫉妬のために他人の貴重品を平気で壊すやつ、という意味だったのかも知れません。もし本当にチョウが欲しかったのなら、チョウの扱いは自然に慎重になるはずです。もし盗むのが目的だったとしても、盗品の扱いが雑だということは、盗む(手に入れる)という行為自身に快楽を覚えていたことになります。「僕」は盗みに快感を覚える異常者扱いされてしまうことになります。

しかしこう思われることは「僕」には想定内でした。ですからまだキレていません。
「僕」は「そんなやつ」と言われる覚悟をしていたのです。

逆ギレしたのは、母の指示2に従い「僕のおもちゃをみんなやる」「自分のちょうの収集を全部やる」と賠償案を提示した時です。

  • 君の集めたやつはもう知っている=君のチョウの標本に価値はない
  • 君がちょうをどんなに取り扱っているのか、ということを見ることができた=君はチョウを扱う者として失格である

この言葉は、自分が熱情を傾けてきた「チョウ集め」という行為を全否定するものです。このため「僕」は完全に逆ギレしそうになります。

しかし「僕」は、この二つの指摘に反駁することはできませんでした。

損害賠償(償い)は価値がないものとして受け取ってもらえず、謝罪は受け入れられなかったのです。

そこで「一度起きたことは、もう償いのできないものだ」と悟って、エーミールのもとを立ち去ります。

「一度起きたこと」とは事実であり結果です。

蝶を手に入れるという行動に喜びを求めてきた「僕」ですが、行動には必ず結果が伴います。

その結果が誰かに不利益を及ぼした場合、それを賠償することは不可能である、と悟ったのです。

最後の場面で、なぜチョウをつぶしてしまったのかは、 

 

  • 誰も罰してくれないから、自分に罰を与えるため

  • 行動に喜びを求めた今までの自分を黒歴史としてなかったことにしようとした

等、いろいろ考えられますが、理由は、はっきりわかりません。

ただ言えることは、「つぶした」のではなく「つぶしてしまった」のです。「僕」は今でも、本当につぶしてよかったのか悪かったのか、迷っていると思います。

ただ、「償うことはできない」と言っているので「罪の償いのために自分のコレクションを壊した」という解釈は誤りではないかと思います。

法律的にも「罰」は刑法上の制裁であり「償い」は民法上の賠償となりますから、一度犯した犯罪行為はいくら禁固刑や罰金刑が課せられたとしても罪を償ったことになるとは言えません。

例えばコンビニで万引きしたチョコレートを食べてしまった場合、窃盗罪で逮捕され罰金10万円を払ったとしても、罰金は国庫に納められます。罰金とは別にコンビニにチョコレート代金と慰謝料を支払わなくては罪を償ったことにはならないのです。

エーミールにとってクジャクヤママユの標本は、その標本の価値だけではなく、さなぎを手に入れてから羽化させ、標本にするまでの思いがこもっているはずです。単に標本代金を相場で支払えばよいという問題ではないと思います。

最近も迷惑系ユーチューバーでも似たような事件がありました。彼は、お金を後払いすれば窃盗罪には問われず、しかも賠償責任はないと思っていたようです。そんな人間にだけは絶対なってはいけません。


罪に対する罰と償い

 「罪」とは、広い意味で言うと「人間がしてはならない行い」とか「正しくない行いをした結果、問題とされるもの」という意味です。この「人間がしてはならない行い」とか「正しくない行い」については、法律で決められていますから、狭い意味の「法によって刑罰を科せられる非行」ということになります。

 この「罪」に対して、懲らしめることが「罰」です。悪いことをした人のまわりの人が、悪いことをした人に制裁を与えるのが「罰」なのです。法律の場合は、禁固刑(刑務所に入れられる刑)や懲役刑(刑務所で無理矢理働かせる刑)や罰金刑(国家が強制的にお金を取り上げる刑)があります。

 「償い」は「罰」とは違い、相手に与えた損害を埋め合わせることです。例えばコンビニで100円のチョコレートを万引きした場合、窃盗罪が成立し警察に逮捕されて起訴、裁判にかけられた場合は一般的に10年以下の懲役または50万円以下の罰金が課せられます。(未成年の場合は少年法が適応されて少し違いますが……。)例え牢屋に入れられても罰金を払わされても、万引きされたコンビニは損害を受けたままで100円分のチョコレートの損害は返ってきません。そこで「償い」として民事訴訟を行い、受けた損害の埋め合わせをしてもらいます。埋め合わせは100円払えば良い、というわけではありません。コンビニが受けた風評被害とか精神的苦痛とか、さまざまなものを埋め合わせることが求められます。いくら支払わなくてはならないかは、弁護士次第です。もしコンビニ側の弁護士が優秀だったら、いくらになるかは予想もできません。(ですから万引きして「代金を払えばいいんでしょ」という台詞は、民事裁判になった場合むしろ逆効果ですね。) 

 このテキストの場合、「僕」は母親に告白する時「この告白が、どんな罰を忍ぶことより、僕にとってつらいことだったということを感じたらしかった」と言っていますから、罪に対する罰は既に受けたと判断しているようです。これは母親の「おまえの持っているもののうちから、どれかをうめ合わせにより抜いてもらうように、申し出るのです。そして、許してもらうように頼まなければなりません。」と、「罪」に対する「罰」ではなく「つぐない=賠償」を指示しています。

 「一度起きたことは、もう償いのできないものだ」という台詞は「一度犯した罪は、罰せられることはあっても償うことはできないのだ」ということを言っているのです。

 

 ここで「一度起こしたこと」と言わずに「一度起きたこと」と言っているのはどういうことでしょう。まるで「僕」の犯罪は偶然のことだ、と言っているようですね。まぁ計画的犯行とは言えないですから、そういうことになるのかも知れませんが、本人に反省の色はありませんね。成り行きで犯してしまった犯罪に対して罰せられたとしても償いができず、しかも二度とやらないと考えたとしたら……何を「やらない」という結論になるのでしょう。


なぜ「僕」はちょうを粉々に押しつぶしたのか

 この理由は、「正解はこれだ」とテキストから論証することは難しいようです。次に考えられる予想をあげておきます。しかし「これが正解だ」という答えは、あなたの中にしかないと思います。 

予想1 自分で自分を罰するため

 行動には理由があります。そして、普通、その理由は行動に近くに書いてあります。ですから、この「僕」の行動が書かれている部分の近くから考えてみましょう。

 「僕」は、この直前に食堂からちょうのコレクションの入った箱を持ってきます。これは「僕にとってはもう遅い時刻だった。だが」明日までは待てないことだと言っています。ちょうを粉々に押しつぶすことは、今どうしてもやらなくてはいけなかったことなのです。

 この直前、「母が根掘り葉掘りきこうとしないで、僕にキスだけして、構わずにおいてくれた」とあります。母から何を聞かれると思ったのでしょう。

「おまえは、エーミールのところに行かなければなりません。」と、母はきっぱりと言った。「そして、自分でそう言わなくてはなりません。それより他に、どうしようもありません。おまえの持っているもののうちから、どれかをうめ合わせにより抜いてもらうように、申し出るのです。そして、許してもらうように頼まなければなりません。」

 お母さんは

  1. エーミールに、自分のしたことを告白すること。
  2. エーミールに、自分の持ち物を「うめ合わせにより抜いてもらうように、申し出る」こと。
  3. エーミールに、許しを乞うこと。

の三つを命令し「僕」をエーミールのところに行かせました。ですから当然、この結果を聞かれると思ったに違いありません。

 1は、裁判で言えば事実認定です。クジャクヤママユを破壊したのは自分であるという自白が中心です。当然、なぜそうなったかも、(「僕」の視点から都合良く)説明されたに違いありません。これに対しエーミールは「そうか、そうか、つまり君はそんなやつなんだな」とあっさり事実を認定します。

 2は損害賠償です。最初「僕のおもちゃをみんなやる」と言いましたが軽蔑されただけでした。そこで「自分のちょうの収集を全部やる」と言いましたが「結構だよ」と断られました。つまり損害賠償はできませんでした。

 損害賠償はエーミールの受けた被害の「うめ合わせ」に過ぎません。この事件を終わりにするためには、3による謝罪と謝罪の受け入れが必要です。小学校でよくやる「ごめんね」「いいよ」がそれです。(ですから、損害賠償ができなくても「謝罪とその受け入れ」はできることなのです。)しかし、2の段階で「僕」は逆ギレしそうになり、「一度起きたことは、もう償いのできないものだ」と悟って引き返してしまいました。

 「僕」は、お母さんがこの首尾を聞かないでくれたことを「うれしく思った」のですが、「僕」は何かが足りないことがわかっていました。「事実認定」がなされ、「損害賠償」がなされず、当然「謝罪」も受け入れられない。その場合残ったものは「罰」です。

 「僕」は「この告白が、どんな罰を忍ぶことより、僕にとってつらいことだった」とある通り、お母さんから「罰」を受けることを最初から想定しています。ところがお母さんは「僕」を罰してはくれませんでした。ですから自分で自分を罰するため、自分の大切なコレクションをつぶしてしまった、という考えです。

 「罰」は、罪を償えなかったために、まだ不足していると考えたのですね。すると蝶のコレクションを一つ一つ押しつぶすときの「僕」の気持ちは、自分を責めさいなむ気持ちとエーミールへのお詫びの気持ちでいっぱいだったのではないかと思います。 

予想2 アイデンティティーの否定

 エーミールは、なぜ損害賠償を拒否したのでしょう。彼は「結構だよ」に続けてこう行っています。

  • 僕は、君の集めたやつはもう知っている。そのうえ、今日また、君がちょうをどんなに取りあつかっているか、ということを見ることができたさ。

 「僕は、君の集めたやつはもう知っている」とは、「僕」のコレクションに価値がないということを言っています。かつてエーミールは「僕」のコムラサキの標本を40円(20ペニヒは、現在の価格だとこのくらいだと思います。)と鑑定しました。標本の作り方が粗雑で受け取る価値のないものだ、と言っているのです。

 では「君がちょうをどんなに取りあつかっているか」とはどういうことでしょう。「僕」はクジャクヤママユの美しさに惹かれてクジャクヤママユを盗みました。しかし自分が盗みをしたことがバレることをおそれるあまり、クジャクヤママユをポケットに隠し壊してしまいます。口では「クジャクヤママユの美は至上のものだ」と言いながら、実は自分の名誉のために平気で犠牲にするヤツだ、とエーミールに思われたのでしょう。ちょうを自分の社会的な立場を守るために簡単に犠牲にしてしまう…これが「ちょうをどんなに取りあつかっているか」の意味です。

 つまり、エーミールに「お前のコレクションに価値はないし、お前はコレクターとしての資格もないのだ。」と宣言されたのです。小学5年生の頃から中1の現在まで、全てを忘れて打ち込んできた「ちょう集め」の全否定です。弁解の余地もありません。

 クジャクヤママユを盗まなければ、壊すこともなかったのでしょうか。

 クジャクヤママユを見たら手に入れたくなる「僕」です。盗みをしないとは言い切れません。そしてそれがバレそうになると、とっさにクジャクヤママユを壊す「僕」なのです。「一度起こしたこと」でなく「一度起きたこと」とあるのは、「今のままいけば、いつか必ず同じ様なことをやらかしてしまう。それは自然なことなのだ(「自分が事件を起こす」のではなく「このままでいけば自然に事件が起きる」のだ)という「悟り」なのです。

 この因果を断ち切るには、「もう二度とちょう集めはやらない」だけでいいのでしょうか。自分が美を求めることそのものをやめなければ、同じようなことは繰り返し起こるでしょう。この自分の黒歴史を抹消するためにちょうを押しつぶしてしまった、という解釈もできます。

 すると、この時の気持ちは「自分が蝶を求める気持ちは間違いだった。これを続けていればいつかまた悪いことをしてします。もう二度と蝶を集めないし、蝶には興味を持たないぞ」という過去の自分との決別と悲しい決意だったのではないかと思います。 

予想3 アイデンティティーのゆらぎ

 「ちょう集め」は「僕」のすべてでした。しかし、これをつきつめると「僕」は犯罪者となる可能性があります。しかしそれよりも、これをつきつめると「僕」が犯罪者とならないためには「ちょう集め」をやめなければいけません。「ちょう集め」が「僕」のすべてだとすると、「僕」のために「ちょう集め」をやめなければならない……これは矛盾ですね。

 「僕」が自分のすべてをかけて追い求めていたものとはいったい何だったのか……。

 しかも、自分が追い求めてきた結果は社会的には認められないゴミ同然のもので、実は自分はそれを追い求める資格もなく、このままいっても結局自分が犯罪者とならないために、それをきっと犠牲にしてしまう……。

 いったい自分は何を求めてきたの?こんなことならいっそ、何も求めない生き方を選ぼう……と考えて、ちょうを押しつぶしてしまったのだとするのが予想2です。

 しかし、この決意は成功したでのしょうか。何十年か経って、大人になった「僕」は、まだこのことがトラウマとなって、ちょうをしっかりと見つめることができないでいます。しっかりと決意したのならプロローグで「ちょう集めをやっているよ」と言われたときに「見せてほしい」とは言わなかったはずです。「見せてほしい」と言って専門家っぽく標本を取り扱った後「残念ながら自分でその思い出をけがしてしまった」と言っています。黒歴史なら「その思い出」はなかったことにしてしまうはずですが、その黒歴史を「私」に話し始めます。

 「僕」はその後、蝶の美への追求を捨てましたが、まだその美を追い求める気持ちは心の奥底にくすぶっているのでしょう。とすると、コレクションを一つ一つ押しつぶしたときの気持ちは「自分は蝶の美をもう二度と求めてはいけない」という強い思いがあったことに間違いはありませんが、一方で「本当にそれでよいのだろうか」という気持ちも心の中にあったのではないかと思います。これがコレクションを一気に処分せず、一つ一つかみしめるように押しつぶした理由のような気がします。

 そして「僕」と同じ気持ちを持っているであろうプロローグの「私」に、自分の気持ちを理解してもらおうと告白したとも考えられます。

 これら三つの予想の他に、まだいくつか考えられることがあるかも知れません。

 どれが正解かは、このテキストの叙述だけから導き出すことは難しいと思います。「答えはあなたの胸の中に」と納得するのが精神衛生上良いと思いますよ。 


コメント: 1
  • #1

    伊佐透真 (木曜日, 25 1月 2024 12:03)

    面白かった