シンシュン


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一人称小説

  •  初めてシンタにあったときは驚いた。中学校の入学式。そこに「僕がいる。」と思った。

 この物語の主人公は「僕」です。

 このような、語り手が主人公の小説を、一人称小説と言います。

 物語は、主人公の目を通して進みますから、主人公が見たものや感じたことがそのまま読者に伝わります。ですから私たちは、主人公と一緒に、主人公と同じ気持ちになって物語を読み進めることができます。

 一方、主人公が知らないことは読者にも知らされません。そして主人公がわからないことも書かれません。主人公も人間です。人間ですから、自分の気持ちが自分自身でもわからないことがあります。とうぜん、主人公にもわからない自分の気持ちは、読者にも知らされません。

 また、主人公が当然だと思っている内容も、説明されないことがあります。

 私たちは、一人称小説を読むとき、主人公が知らない、わからないことまで、文章の中から読みとりながら読み進めていくようにしましょう。

「僕」はどういう人間?

 「中学の入学式」とありますから、「僕」は十二歳の中学一年生です。

 名前はシュンタと言います。

身体的特徴

  • くせ毛が生えている。
  • 二重まぶたである。
  • 鼻筋が通っている。

好物・その他

  • つゆだくの牛丼。
  • 炭酸飲料。(強炭酸系)
  • 姉がいる。
  • 蛇口から直接水を飲むのが好き。
  • 靴下をはくのが嫌い。
  • 体育が好き。
  • 音楽が苦手。

 ではここから、どんなことがわかるでしょう。

 身体的特徴から、目がぱっちりとしていて鼻もすっきりしており、二枚目かどうかはわかりませんが、それほど残念な容姿ではないようです。(かと言って、「王子様」や「モテ男」でもありません。

 好きな食べ物や好きな教科から、けっこう元気な男の子だとわかります。

 家には「姉ちゃん」がいます。高校生くらいでしょうか。「姉ちゃん」から見ると「僕」はまだ子どもですから、頭が上がらない可能性がありますね。(「妹」がいたとしたら、きっとわがままで兄の言うことをきかない「妹」でしょう。)

 ラノベにありがちな、テンプレの男子中学生です。


表現技法に気をつけて

シンタとの出会い

 「僕」は入学式の日、シンタと出会います。

  • そこに「僕がいる。」と思った。

とあります。

  • 僕たちはすぐに仲良くなった。

 とありますから、シンタと出会ったとき、「僕」は驚くのと同時に、シンタに好感をもったのではないか考えられます。

 しかし、本当にそう言い切ってもいいのでしょうか。

 自分と似た人を見たとき、相手を好きになる場合もありますが、嫌いになる場合もあります。これは、自分の悪い部分をまざまざと見せつけられているようで不快に感じる「同族嫌悪」という感情です。

 

 なぜ同族嫌悪が起こらなかったと言い切れるのでしょうか。

 それが起こっていないと言い切ることができる理由は、

  • 僕たちはすぐに仲よくなった。まるで磁石が引き合うみたいに。

という二文にあります。

これは、

  • まるで磁石が引き合うみたいに、僕たちはすぐ仲良くなった。

という文をひっくり返した言い方で、倒置法いう表現技法です。

 

 倒置法では、作者の言いたいことが先頭に書かれます。ですから、作者は「すぐに仲良くなった」と読者に印象づけたかったのです。

  更に

  • まるで磁石が引き合ういたいに

とあります。

 これは比喩という、たとえを用いた表現技法です。「まるで~みたい」とありますから、比喩の中でも直喩と言います。

 磁石のS極とN極がくっつこうとする力が働くように、自然に引き合って仲良くくっつくようになった、と言いたいのですね。(同族嫌悪というのは、同じ極が反発しあうのと同じだと考えてもよいでしょう。)

 表現技法を用いたのは、作者です。「すぐに仲良くなった」のだから、出会いの時の第一印象も悪くはなかったと言いたかったのです。(もし、第一印象が悪かったのなら、その後なぜくっつくようになったのかを説明しないとおかしいですからね。) 

  以上のことから、出会ってすぐに驚くのと同時に好感を持った、と言い切れるのです。(こんなことはめったにないんですけどね。)

  • 僕とシンタはまるで双子だった。 

とあります。これも比喩直喩)です。

 同じ遺伝子を持った双子のように似ているということです。

  • みんなは、僕たちのことをまとめて「シンシュン」と呼んだ。

 ただ似ているだけではありません。

 個別に呼ぶ必要があまりないほど、二人はいつも一緒にいたため、まとめて呼んでいたことがわかります。

 主人公のシュンタや副主人公のシンタが一人でいたら「シンシュン」とは呼びません。二人は、いつも一緒にいたため、クラスメイトは自然に二人まとめて「シンシュン」と呼んだのです。

 表現技法は、教科書の最後の方に載っています。そしてこれは、今後、物語などの文学的文章の問題を解く大切な手がかりとなるものです。きちんと覚えて、テキストの中の表現技法を見破れるようにしましょう。テスト問題や、授業の学習問題を解くヒントになります。 


気持ちの移り変わり

 最初の場面から、表現技法のある部分を抜き出してみます。

  • わくわくしながら小説の話を切り出すと(擬態法)
  • 頭をがつんと殴られたような気がした(擬態法、直喩)
  • それは嫌だった。絶対に嫌だった。(反復法)
  • 僕はあたりまえのことばかりを話した。「雨が降っているね。」とか、「あしたは一時間目から体育だね。」とか。(倒置)

 ここから

  • 期待→衝撃→嫌→気詰まり

という気持ちの変化がわかります。

 

シュンタは何が「嫌だった」のか

 最後に、二人の距離はだんだん離れ、その理由をクラスメイトに説明することができない状況になります。そのきっかけになったのが、

  • 僕が好きなものを、シンタが嫌いと言ったことが悲しかった。「僕は好きだ。」と言えなかったことが悔しかった。でも、シンタと違う自分は嫌だった。僕たちは好きな者や嫌いなものが同じだから「シンシュン」コンビなんだ。違うところがあれば、僕らはきっといっしょにいられなくなる。それは嫌だった。絶対に嫌だった。

の部分です。

 

 この中には「悲しかった」「悔しかった」「嫌だった」と、三つの感情を表す語(感情語)があります。その中でも最も強調したいのは「嫌だった」です。なぜなら「でも」という言葉があるからです。

 

 「嫌」という言葉の近く「シンタと違う自分」「シンタといっしょにいられなくなること」が嫌だったのです。


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