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「走れメロス」という作品は、シラーの「人質」という詩をベースとして作られたものだと、作者太宰治は語っています。シラーの「人質」をもとにした作品は、明治時代から「友情」「信義」の物語として教科書に載っていて、太宰も目にしていたのでしょう。
そして1940年(昭和15)、太宰は「走れメロス」を発表し、戦後1956年(昭和31)に国語教材として取り上げられて以降、七十年近くも中学校の定番教材として扱われています。
この物語の主人公メロスを、友情にあつい英雄であるとし、感動と教訓に満ちた物語だと読むこともできます。逆に短慮で自己中心的な主人公の、設定が破綻している物語と読むこともできます。どのような読み方をしてもよいわけです。
では、授業ではどのようなことを学習したらよいのでしょう。
光村の教科書では、「人物像や表現に着目し、作品の魅力についてまとまよう」という学習活動をもとに、次の内容を学習することになっています。
・抽象的な概念を表す語句が、作品に与える印象を考える。
・登場人物の人物像や表現の効果などに着目して、作品の魅力を考える。
私たちはメロスを勇者と賛美する友情と信義の物語という読み方も、自己中で考えなしを主人公とした破綻した物語という読み方も、両方できてはじめて「自分の考え」をもつことができると思います。片方の考えに偏ることなく、自分の読みを確立させましょう。
メロスは「政治がわからぬ」「村の牧人」で「邪悪に対しては、人一倍敏感」な人間です。
彼は「王は、人を殺します」「(王は)人を信ずることができぬ」という老爺の言葉を信じ「あきれた王だ。生かしておけぬ」と王の殺害を決意する「単純な男」です。
しかしあっけなく捕まり、妹に結婚式を挙げさせるための三日間の猶予と、その担保としてセリヌンティウスを人質として差し出し、「必ず、ここへ帰ってきます」「私は約束を守ります」と言い、許されます。
村に戻ったメロスは、しぶる新郎を無理矢理説き伏せて結婚式を挙げさせ、妹には「おまえの兄のいちばん嫌いなものは、人を疑うことと、それから、うそをつくこと」「おまえの兄は、たぶん偉い男」、新郎には「メロスの弟になったことをほこってくれ」と告げます。
翌朝「あの王に、人の信実の存するところを見せてやろう」と出発し、つらいながらも「名誉を守」るため走ります。
途中、洪水で橋が流されていますが「濁流にも負けぬ愛と誠の偉大な力を発揮してみせる」と川を泳ぎ切ります。更に午後になり、山賊に襲われますが「正義のため」だと逃げ切ります。
峠を下りきったメロスは疲労のため動けなくなります。「勇者に不似合いなふてくされた根性」が芽生え、「私は負けたのだ」と考え、セリヌンティウスが刑死すれば自分は自死しようと考えます。更に自分は「醜い裏切り者」となって生き延びようかとも考えます。
しかし、しばらくまどろみ、湧水を飲んで「義務遂行の希望」「名誉を守る希望」が生まれ、「正義の士」「正直な男」として死ぬためにまた走り出します。
途中、セリヌンティウスの弟子を名乗るフィロストラトスから、自分の命が大事だから走るのを止めてほしい」と言われても「人の命も問題でない」「もっと恐ろしく大きなもののために走っている」と言って走り続けます。
ついにメロスは処刑前に刑場にたどり着きます。そしてセリヌンティウスに「途中で一度、悪い夢を見た」と言って自分を殴らせます。セリヌンティウスもまた「一度だけ、ちらと君を疑った」と言ってメロスはセリヌンティウスを殴り、二人は抱擁します。
そして王に「おまえらは、わしの心に勝った」と言われ、メロスは許され、少女から緋のマントを捧げられます。
メロスはディオニスを「邪知暴虐の王」と考えています。彼は「人を信ずることができぬ」と言い、親族を次々に粛清し、臣下から人質を差し出させる暴君とされています。
威厳があり、顔は蒼白で、眉間には深いしわが刻まれています。
「人間は、もともと私欲の塊」であり「疑うのが正当の心構え」だと考えている「孤独」な人間です。
「約束は守る」「(約束が破られることを)疑わない」というメロスとは対極の思考の持ち主です。
自分を暗殺に来たメロスが三日間の猶予を願い出たのに対し、彼は帰ってこないと考え、放免し身代わりの男を処刑し「人はこれだから信じられぬ」こと「世の中の正直者」に見せつけるために「残虐な気持ち」でメロスを放免します。
ところが身代わりの男が処刑される直前メロスは戻り、群衆は「あっぱれ、許せ」と口々にわめきます。そしてメロスと身代わりの男が互いを殴り合い、抱擁し、泣き出す姿を見た群衆もすすり泣きをします。
群衆の背後からその様子を見ていたディオニスは「おまえらは、わしの心に勝ったのだ。信実とは、決して空虚な妄想ではなかった」と言い、自分も仲間に入れてほしいと言います。
それを聞いた群衆は「王様万歳」と歓声をあげます。
メロスは、自分が走る理由について、最後に次のように語っています。
「走れメロス」の元ネタであるシラーの「人質」では次のようになっています。
たとえ、間に合わなくても、友を救えなくても、死んでひとつになれる!王にだけは自慢させない、「やっぱり友を裏切った」と。愛と誠の二人を殺せばいいんだ!
どちらも、セリヌンティウスの処刑に間に合わなくてもかまわない、と言っていることに違いはありません。
「人質」のメロスは、自分も自殺して、王に「愛と誠」を示すのだ、と言っています。言い換えれば王の思い通りにはならないために走るメロスです。
一方「走れメロス」では「信じられているから走るのだ」と説明しています。直前の「それだから」は、フィロストラトスの語った「メロスは来ますとだけ答え、強い信念を持ち続けている様子」を指しています。友の信頼を裏切らないために走るメロスと変えられているのです。
メロスは王に「私は帰ってくるのです」と言い、「私は約束を守ります。」と約束しました。この約束は必ず守られる、というのがセリヌンティウスの信念です。自分はこの約束を守り、それを友が信じてくれていることが「もっと恐ろしく大きいもの」であり「訳の分からぬ大きな力」なのでしょう。
言い換えれば、約束を守るという気持ちこそが大切である、という主張です。
シラーの「人質」でフィロストラトスはメロスの執事であったものが、「走れメロス」ではセリヌンティウスの弟子に変更されています。
メロスの執事だったら「結果はわかっているから走るのをやめろ」と主人であるメロスに進言するのは当たり前です。しかしセリヌンティウスの弟子に「走るのをやめろ」と言わせることで、「友を裏切らない」という立場をはっきりさせたかったのではないでしょうか。
メロスは王の前で「私は約束を守ります」と言いました。王との約束とは、次の内容です。
処刑までに三日間の日限を与えてください。(中略)必ず、ここへ帰ってきます。
更に「日暮れまで、ここに帰ってこなかったら、あの友人を絞め殺してください」と付帯条件をつけています。メロスの走る目的は王との約束を守るためなのです。
ですからシラクスへ戻る日の朝「今日はぜひとも、あの王に、人の信実の存するところを見せてやろう」と言って走り出します。「信実」とは、「まじめで偽りがないこと」です。つまり約束に対してまじめに取り組み、約束を破るような嘘はつかないことが彼の行動原理なのです。
そのため「兄のいちばん嫌いなものは、人を疑うこと、それからうそをつくことだ」と妹に言っています。自分は嘘をつかないのだから、人を疑うことも人から疑われることも否定しているのです。
この「約束を守る」という目的を達成するための具体的な目標は「日没までに戻り、セリヌンティウスを助け、自分は処刑されること」です。これは「身代わりの友を救う」ことにもつながります。(自分で人質として差し出しておいて「救う」というのも変な話ですが……。)
ですから、「約束を守る」ことが彼の「名誉を守る」ことだと考えています。氾濫した川の前で「あのよい友達が、私のために死ぬのです」と嘆きますが、真の目的は王との約束を守って、シラクスに戻ることにあり、その障害を排除することが彼の正義なのです。
ですから疲れて動けなくなったときも「約束を破る心は、みじんもなかった」「不信の徒ではない」と言い、「君は、いつでも私を信じた。私も君を欺かなかった」とセリヌンティウスに語りかけ、約束を守れないことに対して「永遠に裏切り者だ。地上で最も不名誉の人種だ」と嘆いています。
フィロストラトスに「走るのはやめてください」と言われたときも「信じられているから走るのだ。間に合う、間に合わぬは問題ではないのだ。人の命も問題ではないのだ」と答えています。
「シラクスへ戻る」という約束を守ること、約束は守られるという信頼に応えることが大切であり、そのために人の命が失われようとかまわない、ということです。(もし間に合わなければセリヌンティウスは処刑されます。そして間に合えばメロスが処刑されます。「間に合う、間に合わぬは問題ではない」ということは、どちらが死のうとかまわない、ということになります。)
つまり「約束は守られる」という信念が「もっと恐ろしく大きいもの」であり「訳のわからぬ大きな力」なのだと思います。