作者太宰治の「走れメロス」創作の発端としては、以下の話が有名です。
- 懇意にしていた熱海の村上旅館に太宰が入り浸って、いつまでも戻らないので、妻が「きっと良くない生活をしているのでは……」と心配し、太宰の友人である檀一雄に「様子を見て来て欲しい」と依頼した。
- 往復の交通費と宿代などを持たされ、熱海を訪れた檀を、太宰は大歓迎する。檀を引き止めて連日飲み歩き、とうとう預かってきた金を全て使い切ってしまった。飲み代や宿代も溜まってきたところで太宰は、檀に「宿賃のかたに身代わりになって宿にとどまり自分を待っていてくれと説得し、東京にいる太宰の師匠、井伏鱒二のところに借金をしに行ってしまう。
- 数日待ってもいっこうに音沙汰もない太宰にしびれを切らした檀が、宿屋と飲み屋に支払いを待ってもらい、井伏のもとに駆けつけると、二人はのん気に将棋を指していた。太宰は今まで散々面倒をかけてきた井伏に、借金の申し出のタイミングがつかめずにいたのであるが、激怒しかけた檀に太宰は「待つ身が辛いかね。待たせる身が辛いかね。」 と言ったという。
- 後日、発表された『走れメロス』を読んだ檀は「おそらく私達の熱海行が少なくもその重要な心情の発端になっていはしないかと考えた」と『小説 太宰治』に書き残している。
左が太宰治、右が檀一雄
これを素直に読むと、メロスは太宰、セリヌンティウスは壇だったような気がします。
熱海でじっと帰りを待っていた檀。その壇を待たせていた自分もつらかった、と言いたいのでしょうか。
セリヌンティウスの信頼に応えるために、間に合わなくてもずっと走り続けたメロスを自分に例えようとしたのでしょうか。これならばセリヌンティウスが聖人君子として描かれていて、納得です。
(「ひでえ」「最低」等の感想が沸いても、しかたがないと思います。)
このエピソードは、平成29年度の全国学力学習状況調査の問題にも出題されています。チャレンジしてみましょう。三年生になったらすぐ実施される全国学調の練習になりますよ。