「レオナルドが科学を駆使して表現しようとしたものが、とてもよく見えてくるから。」
この文章の最後の方に、「レオナルドが、絵画の科学を駆使して表現しようとしたものた、とてもよく見えてくる。だからいきなり『かっこいい。』と思えるのだ。」と書いてあります。
「絵の構図がもっている画家の意図」です。
「つまり、レオナルドが、絵画の科学を駆使して表現しようとしたもの」とあり、直前の「絵の構図がもっている画家の意図」の言い換えであるから。
「修道士たちを、この部屋で食事をしたら、まるでキリストたちといっしょに晩餐をしているような気持ちにすること」です。
「絵画の科学を駆使して表現しようとしたもの」=「画家の意図」は、直前の「人物の輪郭が作る形。その連なり。」であり、「絵の『全体』」によって示されています。
これによって「絵に描かれているのが本物の部屋であるように見えてくる。」とし、その目的は「かつての修道士たちのように、こんな部屋で食事をしたら、まるでキリストたちといっしょに晩餐をしているような気持ちになるにちがいない。」と言っているからです。
「最後の晩餐の物語をドラマチックに演出することで、観る人がまるでキリストたちと一緒に晩餐をしているような気持ちにさせること。」です。
「五百年の昔に描かれた名画は、二十一世紀の今も素晴らしさを失わず、むしろそれまで気づかなかった画家の意図を明らかにして、見る人に感動を与え続けるから。」です。
「芸術は永遠なのだ。」の直前に、「五百年も~生きている。」とあります。単純に「~から。」と言うこともできます。「生きている」という比喩を具体的に言い換えました。
#1 りんご 様
「自分の目で見てほしい」というのは、実際にイタリアに行ってレオナルドの「最期の晩餐」の絵を見てほしいという意味だと思いますよ。
「最期の晩餐」は食堂の壁に描いた絵なので、「モナリザ」のように持ち運びすることはできません。そして、実際にその食堂にあってこそ、まるで食堂の奥に舞台があって、その舞台の上でキリスト達が「あたかも本物のように」食事をしているように見えるのでしょう。だからこそ、その絵のあるイタリアに行って、筆者のいうことが本当だと実感してほしいのではないでしょうか。
りんご (火曜日, 19 11月 2024 21:51)
最後の晩餐を自分の目で見てほしいということはどういう事ですか?