漢詩の背景

万葉集や古今和歌集など、日本の歌を「和歌」と言います。これに対して、中国の歌を「漢詩」と言います。

日本の字のもとになった文字を「漢字」と言うように、中国由来のものを何でも「漢」という国の名前で表現するように、中国由来の歌を「漢詩」というようになったのです。

ただし、「漢詩」という呼び方は日本だけのものです。

 

漢詩の中でも、「唐」の時代の歌を特に「唐詩」と言います。

「唐」は漢詩がとても発達した時代でした。 

唐と日本

唐(616-907)とは、随のあとの7~10世紀に栄えた中国の王朝です。

聖徳太子が送った使節は遣隋使、その後の中国への使節は遣唐使と呼ばれます。この「唐」ですね。

 

唐は、随を滅ぼした李淵(高祖)の息子、李世民(太宗)によって作られました。

都は長安。律令体制を整えました。均田法や租庸調制、府兵制を実施し、中央集権国家を整備しました。

また、科挙と呼ばれる官僚登用制度を実施し、官僚組織を発達させたのも唐です。

これらはすべて大化の改新の手本になっていますね。

科挙というのは、官僚の採用試験で、身分を問わず受験することができました。

しかし、ものすごく難しいテストで、合格率1%で、合格することは大変な名誉でした。また合格すれば、立身出世が約束されました。

科挙には詩の試験もあり、そのために唐詩(漢詩)が発達し、形式などもこの時代に完成されました。

太宗の時代、仏教僧の玄奘がインドへ旅立ちます。後の時代、これがもとになって孫悟空(ドラゴンボールではない)が活躍する『西遊記』が作られました。

次の高宗の時代、唐は朝鮮半島の新羅と連携し、百済を滅ぼします。百済を救援に来た大和政権の水軍を白村江の戦いで破ります。

 これがもとで、日本では太宰府が作られ、防人制度ができました。

 8世紀の中頃、唐は最も栄えました。しかし時の皇帝玄宗は美人で有名な楊貴妃を寵愛し、それがもとで安史の乱(755-763 安禄山の乱)が起こりました。安史の乱は10年ほど続き、これをきっかけに唐は衰退していきます。

 日本での奈良時代のことです。そして唐が衰退していった平安時代に、菅原道真の進言により遣唐使は廃止され、和歌や「枕草子」などの国風文化が発展しました。

 奈良~平安時代にかけて、唐の国の政治や文化などは、日本のさまざまな方面で大きな影響を与えてきました。

 漢文が正式な文章とされ、漢詩(唐詩)の知識があることが教養人の証明でした。漢詩を元ネタとしてドヤ顔をする清少納言の姿が「枕草子」にも出てきます。 

孟浩然

 孟浩然(689-740)は、安禄山の乱の少し前に活躍しました。杜甫や李白の少し先輩にあたる人物です。彼らにとって孟浩然は「良きアニキ」だったようですね。

 若い頃から各地を放浪し、立身出世には関心が薄かったようです。40歳になるまで隠者のような生活を送り、のちに都に出て科挙の試験を受けますが失敗し、その後故郷で生涯を閉じます。ちなみに科挙はたいへん難しい試験で、50歳で合格しても「まだ若い」と言われたほどでした。

 飾り気のないおおからで明るい、自然を愛する作風の漢詩を作りました。 

杜甫

 杜甫(712-770)は、代々官僚を出す立派な家の生まれで、20代で科挙の試験を受けますが、不合格でした。30歳の時に役人の娘と結婚し家庭を持ちます。そして生涯奥さんを大切にしました。

 貧しさに疲れ果てた40代の中年になった杜甫は、安史の乱では軍につかまり長安に軟禁されました(756)。この安史の乱の前後は、政治の腐敗や戦乱の様子、社会的状況を悲痛な調子で詳細に綴った内容の詩が特に多く「春望」もこの頃に作られました。

 その後解放されましたが、うち続く戦乱や飢饉を避け蜀の成都に疎開します。蜀では支援者にも恵まれ、比較的穏やかな生活を送りました。この時の詩が「絶句」です。

 その後、社会の動乱も病によって生じる憂いや悲しみも、すべて人間が生きている証であり、その生命力は詩を通して時代を超えて持続するという境地に達し、後に「詩聖」と呼ばれました。

李白

 李白(701-762)は、杜甫と並ぶ中国古代の二大詩人です。杜甫はどちらかというと真面目で立派な人という印象ですが、李白は非常に人間くさい、才能はあるけれど挫折の連続で、結婚を繰り返し奥さんや子どもをかえりみない「人生の落後者」という印象があります。また、お酒が大好きで「酒仙」と言われました。

 官僚として立身出世をするという願いが強く、有力者に自分の才能を売り込み、コネを作って役人になろうとしましたが、ほとんどうまくいきませんでした。40歳を過ぎてようやく宮廷に仕えることになりましたが、2年ほどでクビになります。更に安史の乱では従軍作家として軍務につきましたが、軍は敗れ賊軍になってしまいました。

 彼の詩は、漢以来の中国詩歌の世界を集大成したものと言われ、清聴で繊細、浮世離れした雰囲気があり、変幻自在で鮮烈な印象の作品が多いことで知られています。