随筆には、文学的文章に近いものと説明的文章に近いものの二種類があります。
この「言葉の力」は、説明的文章の中の、とても論説文に近いものです。
高校入試でよく出題される論説文の読解力を高めるために、しっかり学習を進めましょう。
「言葉の力」の予習・復習、定期テスト対策のプリントをダウンロード販売します。
このプリントは、論説文のコツを身につけること、そして要旨を考えたり文章を要約したりする力を伸ばすことを一つの目標として作りました。段落を大きく三つに分け、それぞれについて解説を加えた後に問題を載せてあります。これがあれば、授業もばっちりです。
問題に興味のある方は、下のボタンをクリックしてください。
練習問題・予想問題のみをまとめたものを別売します。(問題は、上の冊子と重複している場合があります。)
解説はいらない、問題集が欲しい、という方は、こちらがお安くなっております。
興味のある方は、下のボタンをクリックしてください。
「随筆」は、作者の体験や読書などから得た知識をもとに、それに対する感想や考えを論理的な文章にまとめたものです。
『枕草子』や『徒然草』と同じ、文学的文章の仲間ですから、書いた人は「作者」と呼ばれます。
しかし現代文の「随筆」は、説明的文章、特に入試に必ず出題される論説文にとても近い内容となっています。
「言葉の力」の学習を通し、論説文の読み方の基本に慣れていきましょう。
この文章では、本来は「作者」なのですが、論説文を意識した説明を行いますので、書いた人を「書き手」と呼ぶことにします。
文章全体や段落で書き手が最も言いたいことを「要旨」と言います。
説明的文章には、テキストにしっかりと書かれています。(しっかり書かれていないものは、説明的文章ではありません。)それは、この随筆「言葉の力」も同じです。
ですから、その部分はどこにあるのか探します。
「言葉の力」は、5つの形式段落(行頭が一字下がっているところ)に分かれています。
これらの段落は更に3つの意味段落(一行あいているところ)に分かれています。
内容は次のようになっています。
ここから、この文章の要旨は第1段落にあることがわかります。
結論を最初に言ってしまう頭括型の文章であることがわかります。
第一段落は、次の5つの文に分かれています。
この中で、書き手が最も言いたかった文はどれでしょう。
第2文に「しかし」とあります。
「しかし」の後に書かれたことが、書き手の言いたいことです。
これが、書き手が言いたいことです。
第3文は「ある人があるとき~」で始まっています。
これは第2文の例です。ですからこの文は、書き手が一番言いたかったことではありません。
第4文は「それは」で始まっていますから、第3文の説明です。
この文で言いたかったことは
です。
しかし、「背負ってしまう」という擬人法が使われ、なんとなく大切なことを言っているような気がします。
この文は目立ちますが、内容が読者にとってわかりにくいものになっています。
そこで第4文を更に短くまとめなおしたものが第5文です。
これが書き手の主張です。
第一段落の要旨は、第1文と第5文をつなげて、
となります。
第3文に、
とあります。
具体的にはどういうことでしょう。
時代劇で、病気のおとっつぁんと可憐な町娘がいました。
おかゆを持ってきた娘に、おとっつぁんは「自分さえ病気でなければ、おまえにもっと楽をさせてあげられたのに」とかき口説きます。
娘は「おとっつぁん、そればいいっこなしですよ」と微笑みます。
娘の、父親を思いやる美しい言葉です。
同じ時代劇でも、悪代官と悪徳商人の会話です。
「越後屋、おぬしも悪よのう。」
「へっへっへっ、お代官様、それはいいっこなしですよ。」
……これは美しい言葉とは思えませんね。
「いいっこなし」という言葉には、美しい意味も醜い意味もありません。
その言葉を使った町娘と悪徳商人の人柄の違いが、「いいっこなし」という言葉の美しい・醜いを決めてしまうのだ、と書き手は言いたいのですね。
この文章は
ことを主張するものです。その通りだと思います。
これを言葉の役割から考えてみましょう。
いくつかの分類法がありますが、文化審議会は次のように答申しています。
(国語の果たす役割、個人にとっての国語-文化審議会答申)
私たちが「ものを考える」ためには、その具体的・抽象的な「もの」に名前をつけて考えはじめます。また考えを組み立てていくということは主語・述語を組み立てたり、文と文との関係を組み立てたりしていくことです。つまり、言語は論理的に思考力するためのツールです。
また、「知識の獲得」のために言葉はなくてはいけません。更に獲得した知識を再構成して新しい知識を作り出していく「能力 の形成」も言葉によって行われています。
「もの」をどうとらえ、どんな「知識」を吸収し、どういう「能力」を身につけていくか……それをその人の「人間性」と言うのなら、人間性は言葉によって決まってくるのです。逆に「その人が使う言葉にその人の人間性があらわれる」とも言えるわけです。
例えば、美しい音楽を聴いたときの感動と美しい絵を見たときの感動は違います。また同じ絵でも油絵と水墨画では感動が違います。「どう違うのか」説明できないとしたら、本当に違いがわかっていると言えるでしょうか。
言葉には、美しい表現やリズム、深い情感、 自然への繊細な感受性等をつかみ、 美的な感性や豊かな情緒を培う力があります。
どんなことをどのように「美しい」と感じ、どんなことをどのように「醜い」と感じるかは、まさに人間性の問題ですね。このアンテナを高めてくれるのも言葉の力です。
これは説明の必要はありませんね。言葉や文字等による意思や 感情等の伝え合いは、人間関係形成能力の根幹です。そしてコミュニケーションに使う細かな言葉一つ一つに、その人の人間性があらわれてしまう、というのがテキストで言っていることです。
言葉には、つぎのような機能があると言われています。
また、情報処理機能を
の二つに分け、行動制御機能を行動調整機能(伝達・認識・記憶・制御)とする考え方もあります。
諸見里杏南 様
「言葉の世界での出来事と同じこと」の意味
「言葉の世界での出来事と同じこと」は、第三大段落の最初の文にあります。この部分をもう少しくわしく見てみましょう。
このように見てくれば、これは言葉の世界での出来事と同じことではないかという木がする。言葉の一語一語は、桜の花びら一枚一枚だといっていい。一見したところ全然別の色をしているが、しかし本当は全身でその花びらの色を生み出している大きな幹、それを、その一語一語の花びらが背後に背負っているのである。
この部分の最初には「このように見てくれば」と、前の段落の内容を指しています。
前の段落には
木全体の一刻も休むことない活動の精髄が、春という時期に桜の花びらという一つの現象になるにすぎないのだった。
とあります。
「言葉の一語一語は、桜の花びら一枚一枚だといっていい」とありますから、「桜の花びら」に「言葉」を代入します。すると「□□全体の一刻も休むことのない活動の精髄が、言葉という一つの現象になるにすぎない」となります。
第一大段落には、「言葉というものの本質が、口先だけのもの、語彙だけのものではなくて、それを発している人間全体の世界をいやおうなしに背負ってしまう」とあります。このことから「□□」には「人間」が入ります。
つまり、
木全体の活動が花びら一枚一枚にあらわれているのと同じように、その人間全体の活動が(その人が使う)言葉一語一語に表れる
と言っているのでしょう。
「ほんの一言の中に、その人の人間性が出てしまう」と言っているのですね。そして「美しい言葉、正しい言葉というものはなく、どんな言葉でも、正しい人、美しい人が使う言葉は正しく美しい。(だから美しい言葉、正しい言葉を使える人間になろう)」と言いたいのではないでしょうか。
okure 様
それはよかったですね。
何か感想などがあったら、また教えてください。
okure (月曜日, 14 10月 2024 12:10)
happy me
諸見里杏南 (木曜日, 11 7月 2024 09:48)
言葉の世界での出来事と同じこと 意味