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「走れメロス」という作品は、シラーの「人質」という詩をベースとして作られたものだと、作者太宰治は語っています。シラーの「人質」をもとにした作品は、明治時代から「友情」「信義」の物語として教科書に載っていて、太宰も目にしていたのでしょう。
そして1940年(昭和15)、太宰は「走れメロス」を発表し、戦後1956年(昭和31)に国語教材として取り上げられて以降、七十年近くも中学校の定番教材として扱われています。
この物語の主人公メロスを、友情にあつい英雄であるとし、感動と教訓に満ちた物語だと読むこともできます。逆に短慮で自己中心的な主人公の、設定が破綻している物語と読むこともできます。どのような読み方をしてもよいわけです。
では、授業ではどのようなことを学習したらよいのでしょう。
光村の教科書では、「人物像や表現に着目し、作品の魅力についてまとまよう」という学習活動をもとに、次の内容を学習することになっています。
・抽象的な概念を表す語句が、作品に与える印象を考える。
・登場人物の人物像や表現の効果などに着目して、作品の魅力を考える。
私たちはメロスを勇者と賛美する友情と信義の物語という読み方も、自己中で考えなしを主人公とした破綻した物語という読み方も、両方できてはじめて「自分の考え」をもつことができると思います。この両方の視点から、学習内容に迫るために、ここでは「走れメロス」に否定的な側面からテキストに迫ってみます。
次の文章は、平成29年度全国学力・学習状況実態調査の国語Bの問題の一部です。
太宰治は、友人である作家の檀一雄と熱海の旅館に滞在していた。二人ともお金を使い果たしてしまったので、太宰はお金を用意するため、壇を残して一人で東京へ戻っていった。ところが、いくらたっても太宰は熱海に帰ってこない。壇が東京まで探しに行くと、太宰は師である井伏鱒二の家で将棋を指していた。このとき、激怒する壇に向かって太宰が言ったのが、「待つ身が辛いかね、待たせる身が辛いかね」という言葉である。
壇は、この出来事が「走れメロス」の執筆に関係しているのではと述べている。
この話はとても有名な話です。太宰は「セリヌンティウスを待たせるメロスと同じ様に、借金を師に言い出せず壇を待たせた自分は辛かった」とでも言いたかったのでしょうか。
『走れメロス』は舞台が地中海の島であり、教科書には載っていませんが、原作の最後に「古伝説とシルレルの詩から」と書かれていました。ですから、元ネタがあります。
この「古伝説」は古代ギリシャの植民地だったシラクスに実在したディオニュシオス2世と言う君主の御代に、死刑宣告を受けた秘密結社の構成員が保証人として捕まった友人を救うため、逃げずに刑場へと現れたという話です。この話は西欧や中東各地で語り継がれ、近世ドイツの文学者フリードリヒ=フォン=シラーすなわち「シルレル」によって詩文にまとめられます。このシラーによる翻案は日本にも輸入され、『真の知己』と言うタイトルで太宰が高等小学校1年の時に使った教科書に採用されました。(興味のある方はこちら。題名は「人質」となっています。)このお話は、名前や設定こそ所々違いますが、メロスの物語と基本的には同じであり、鈴木三重吉氏の児童書が執筆されるなど、人気のあるものでした。
なお、ディオニュシオスは晩年こそ暴虐でしたが、様々な逸話を残した傑物でもあり、そこにディオニスが暴君と言われつつも彼を慕う臣民がいるモデルになっているのかも知れません。(興味のある方はこちら。)
一般財団法人 理数教育研究所が開催した「算数・数学の自由研究」作品コンクール(2013年度)に入賞した「メロスの全力を検証」(PDF)という研究結果がとても興味深いです。中学2年生の村田一真くんによるこの検証では、太宰治の小説「走れメロス」の記述を頼りにメロスの平均移動速度を算出。その結果、「メロスはまったく全力で走っていない」という考察に行き着きます。端的にいうとメロスは往路は歩いていて、死力を振りしぼって走ったとされる復路後半の奮闘も「ただの早歩きだった」というのです。私の計算では、復路前半は幼稚園か小学校低学年の遠足並みの速さで移動しています。
同じ中学2年生です。文学作品を読むときは、このくらい批判的に読めるといいですね。
まあ、当時の文学作品には、作者にもよりますが、設定がいいかげんなものがあります。この作品もその一つですね。きっとおおらかな時代だったのでしょう。(笑)
この物語は「初夏」と書いてあります。そして「結婚式も間近な」妹のために、「花嫁の衣装やら祝宴のごちそうやらを買いに」メロスはシラクスの町にやってきました。そこでメロスは事件を起こし、妹の結婚式をすぐ挙げて欲しいと「婿の牧人」に頼みます。すると牧人は「こちらにはまだなんの支度もできていない、ぶどうの季節まで待ってくれ」と言います。
「ぶどうの季節」っていつでしょう?ヨーロッパでは、スパークリングワイン用なら8月、甘口の白ワインなら9月、それ以降11月までが赤ワインが収穫の時期です。初夏とは立夏から芒種の前日までで、だいたい5月~6月を言います。そこまで厳密に言わなくても、今の感覚では6月頃が初夏でしょう。
ここで、メロスはいったいいつ妹に結婚式を挙げさせる予定だったのでしょうか。まあ花嫁衣装はとっておくことができますが、祝宴のごちそうは早く買っても大丈夫のはずがありません。メロスは妹の結婚式を、7月か、どんなに遅くても8月上旬に予定していたと思います。これは「(せめて)ぶどうの季節まで待ってくれ」という牧人の言葉と矛盾します。
メロスは、勝手に妹の結婚式を7月に挙げると決めて、婿の牧人にも相談せずに話を進めようとしていたのでしょうか?
ディオニス王は「信じられない」という理由で、粛清を繰り返したそうです。シラクスの町の老爺によると次の順番で粛清されました。
この順番から、次のようなストーリーが考えられます。
ディオニス王は、その治世にあたり妹の夫(王妹の婿)を信頼し、何事につけても相談しながら政を行っていたとしたらどうでしょう。ところが妹の夫は、ディオニス王にとってかわろうと、王太子をそそのかしクーデターを計画しました。
ところがクーデターは失敗し、王は、首謀者である妹の夫と、担がれた世継ぎを処刑しました。妹の夫を信頼していただけに、王はとてもショックだったと思います。そしてのちのち恨みを残さないために、自分の妹と、その子も処刑せざるを得ませんでした。ひょっとしたら、妹もクーデターに関わっていたのかもしれません。
信頼していた者に裏切られ、しかも自分の子や妹まで手にかけなくてはならなかった王は、精神的に参ってしまって当然です。
そんな王に、息子を粛清された妻は、夫である王をなじります。王はたまらず皇后である妻に手をかけてしまいます。このあたりから、ディオニス王は精神的に完全におかしくなってしまったのではないでしょうか。
そしてそんな王をなんとかしようと、王を諫め続ける賢臣も殺してしまったのではないでしょうか。
「人を信頼しなければ、こんな悲劇は起こらなかった…」これがディオニス王の行動原理だったような気がします。当然、ここに出てこない「王弟」や王太子以外の子どもたちも、王の「誰も信じない」という言葉からすべて粛清された可能性があります。
では、現在の王位継承権は誰が持っているのでしょうか。老爺の「ご自身のお世継ぎ」をすべて殺したということになると王位継承権を持っている者がいなくなります。そしておそらく、新王の選定に深く関わるであろう王妹の婿と賢臣もいません。
現在ディオニス王は何歳かわかりませんが、「王の顔は蒼白で、眉間のしわは刻み込まれたように深かった」とありますから、相当のストレスをためこんでいるようです。強迫神経症だったのかも知れません。現在なら薬物治療ができますが、放置した場合、王の余命は短そうです。
ディオニス王が逝去した時、ディオニス朝は王位継承権を持つ者がいないという理由で滅亡するでしょう。そうでなくても、シラクスの世論はディオニス不支持です。王の健康が衰えた瞬間、クーデターが起こる可能性もあります。
別にメロスがテロを起こさなくても、早晩ディオニス王は死に、ディオニス朝も滅亡すると思います。近親者を粛清した源頼朝の死後、三代で源氏の血筋が絶えたのと同じですね。
舞台は地中海の島です。地中海と言えば「地中海性気候」であり、冬に一定の降雨がありますが、夏は日ざしが強く乾燥するため、乾燥に強いオリーブやブドウなどの果物、柑橘類の栽培、牧畜が盛んであることは社会で習った通りです。
ところが物語では、妹の結婚式の頃から「ぽつりぽつり雨が降りだし、やがて車軸を流すような大雨」になります。その結果「山の水源地は氾濫し」「橋を破壊」するほどの水害が発生しています。まるで台風並の災害ですね。はっきり言って異常気象です。牧人は「ブドウの季節まで待ってくれ」と言っていましたが、この状況では今年ブドウの収穫が可能かどうか心配した方がよいでしょう。
まぁ、シラーの「人質」も、季節は不明ですが同様に川が氾濫した記述がありますから、設定上必要だったのでしょうね。(「初夏」と設定しなければよかったのに……。)
川を泳ぎ切ったメロスを待っていたのは「一隊の山賊」です。彼らは「その、命が欲しいのだ」とメロス殺害を目的とした集団です。メロスは「さては、王の命令で、ここで私を待ち伏せしていたのだな」と考えます。しかし、当たり前のことですが、山賊は依頼者の名前を明かしません。依頼者は本当にディオニス王か、彼の意思を忖度した側近だったのでしょうか。
これについては、米澤穂信の古典部シリーズ『いまさら翼といわれても』で主人公の折木奉太郎が推理をしています。ネタばらしになりますから、そちらをご参照ください。
しかし『走れメロス』は推理小説ではありませんから、真犯人は誰かは叙述からの論証はできません。『故郷』で灰の中に食器を隠したのは誰か、と同じように、永遠の謎だと思います。
「首相は間違っている…殺さなくては」と思いついて、ホームセンターで包丁を買って、その足でのこのこ首相官邸に行ったらどうなるでしょう。一発で逮捕ですね。テロリストだったらもう少し計画性があります。しかもその動機は、町の一人の老人の言葉が原因です。犯罪者に間違いありませんが、とってもアブナいあんちゃんです。
そればかりでなく、本人の了解も得ずに、思いつきで親友を人質にしてしまいます。他にも、結婚式の日程とか、どうやら自分勝手に思い込みで決めてしまっているようです。
ところが困ったことに、自分を「偉い男」「弟になったことを誇ってくれ」と言い、自分に「正義」があると言ってはばかりません。
短慮で暴力的、人の都合なんて考えない、決めつけがとても激しく、身近にいたらはた迷惑なだけの人物です。決して尊敬できる男とは思いません。 友だちにしたくないキャラNo.1ですね。
緋のマントを捧げた一人の少女の、その後の人生がむちゃくちゃにならないように、「バカなことは考えるな」と必死にアドバイスしてあげたいと思います。
「十六の、内気な妹」は、自分の結婚式がいつだと思っていたのでしょうか。
彼女は「明日、おまえの結婚式を挙げる」と兄に突然言われ「頬を赤らめ」ます。普通そんな身勝手なことを言われたら、顔を真っ赤にして激怒するのが普通です。ところがメロスは「うれしいか」と言っています。妹は自分の結婚式をいつ挙げるかも考えていなかったオメデタイ人だったのでしょうか。それともメロスは真っ赤になって激怒した妹の気持ちをまったく理解できないドンカン人間だったのでしょうか。
兄のメロスは「結婚式は間近」と考え、結婚相手は「ブドウの季節」以降であると言っています。で、結婚する当人は、それを知っていたのでしょうか。それともまったく知らず兄任せだったのでしょうか。
ギリシア時代の婚姻は、女性の平均年齢は15歳で、夫と花嫁の後見人との契約で成立し、「箱入り娘」的に育てられたと言いますから、自分の結婚式がいつかを知らなかったとしてもしかたがないかも知れません。現代とは違い、今で言えばひきこもりのような生活を送っていたのかも知れませんね。
ちなみに「婿をとる」という風習があったかどうかは、疑問です。ご存じの方、ご教授ください。
このお話で、一番得したのはディオニス王です。
なにしろ、民衆に忌み嫌われていたのに、何もせずに最後においしいところをさらい、民衆から「王様万歳」と言われているのですから、ノーリスクハイリターンの極みです。日本の首相もうらやましく思っていることでしょう。
ちなみにディオニス王には、すでに明確な跡継ぎがいません。ですから放っておいても、ディオニス王が老いさらばえた時には後継者争いが起こり、ディオニス朝は滅亡したに違いありません。
ストレス過多で不健康ですが、愚かではない王は、早晩自分の王朝が滅亡するかもしれないことをわかっていたかもしれません。
今の刑法では、メロスが犯した罪は、殺人未遂及び内乱罪ですから死刑にまではならないと思います。しかし当時の常識として、王は即座にメロスを処刑してしまっても当然だったと思います。(ついでに連座制が適応されるなら、妹や妹婿も死刑だったでしょう。メロスは結婚式をあげさせる前に、即、妹を離縁して、妹や妹婿も処刑されないように配慮すべきべきでした。)
ディオニス王は、なぜメロスをすぐに処刑しなかったのでしょう。そうしなかったのは、自分の主張が正当であることの宣伝材料とし、世論に訴えるためだと本人が言っています。だから、事件の経緯を公表し、自分の主張が正しいと宣伝するために刑場に民衆を集めたのでしょう。
ですからこの目論見に失敗した王は、帰ってきたメロスに「なるほどお前が約束どおり帰ってきた。ならば私も約束を守ろう。お前を縛り首にする。」と言って、さらっと始末してしまうことができました。
頑張れ、ディオニス。
セリヌンティウスは、メロスに勝手に人質として指名されても、「無言でうなずき、メロスをひしと抱きしめ」ただけです。またフィロストラトスの言葉によれば、「刑場に引き出されても平気で」王がからかっても「メロスは来ます」とだけ答えたそうです。最後の場面では、三日間にたった一度だけ疑ったことを告白し、「君がもし私を殴ってくれなかったら、私は君と抱擁する資格さえないのだ。殴れ。」と言っています。
本当は抱擁する資格がないのはメロスです。「途中で一度、悪い夢を見た」とメロスは言っていますが、メロスがセリヌンティウスを裏切ろうとしたのは一度や二度ではありません。
結婚式の最中に「一生このままここにいたい」「このよい人たちと生涯暮らしていきたい」と願い、「未練の情」てんこ盛りで、シラクスの町へ戻ることを「ままならぬ(思い通りにならない)こと」とまで言い「出発を決意」しています。(いったい、こうなったのは誰の責任だよ……。)そして妹との別れ際に「(自分は)たぶん偉い男なのだから~誇りをもっていろ」と言います。まるで未練を振り切ったから偉い、とでも言いたげで「何様のつもり?」とつっこみを入れたくなります。更に出発後も、「幾度か、立ち止まりそう」になり、「えい、えいと大声を上げて、自身を叱りながら」走り(?)ます。この時のメロスは小学校の遠足並の移動速度ですから、メロスを見た通りすがりのお母さんは「見ちゃいけません」と子どもに言ったことでしょう。
そう考えたはずです。
だいたい相談もなく自分を人質に差し出してしまう身勝手なメロスです。セリヌンティウスは、「メロスが戻ってこなくて自分が死刑になってもしょうがないや」と諦めていたのかも知れませんね。
こんな男を親友にしたメロスは幸せ者ですが、なぜセリヌンティウスはメロスの親友であったのか、「竹馬の友」だけでは説明できません。
メロスが処刑場に到着する直前、セリヌンティウスの弟子を名乗るフィロストラトスという人物が現れます。そしてしばらくメロスと会話します。けっこう長いセリフです。
不思議に思うのは、フィロストラトスがなぜここにいるのか、ということです。セリヌンティウスの弟子ならば、師匠が処刑されるのを見とどけるまでそこに留まるのではないでしょうか。師匠の命を助けるために一縷の望みをメロスに託すのならば、まだフィロストラトスがここにいた理由はわかります。しかし彼は「走るのはやめてください」と言います。しかも長台詞ですから、走り続けてきたメロスにとって、更に走りながら喋るのは相当苦痛だったはずです。そして会話の最後に「ひょっとしたら、間に合わぬものでもない」と、まるで師匠が処刑されることが当然であるような言い方をして分かれます。
彼はなぜここにいて、なぜあんな言葉を語りかけて、その後メロスと一緒に処刑場に行かずにどこへ言ってしまったのか……。フィロストラトスは、本当にセリヌンティウスの弟子だったのでしょうか……それとも……。
ちなみにシラーの『人質』にもピロストラートスという人物が同じ状況下で登場し、メロスに戻るように説得します。しかしピロストラートスは、「家の実直な守り手」……つまりメロスの執事か家令です。これならメロスを止めようとした理由も納得ですね。(メロスは小学校低学年の遠足なみの速さで移動したので、執事が先回りするのは簡単だったはずです。)
なぜ太宰治は、フィロストラトスをメロスの執事ではなくセリヌンティウスの弟子にしたのでしょうか。ここに、この物語の秘密があるのかも知れませんね。